理解、を考える


理解

「理解力」は「使用力」より大きい。言い換えると「受容力」は「産出力」より大きい。という原理があります。「相手のいうことはなんとなく、わかるけど、うまく話せない」という実感は海外でよく感じると思います。これは言葉がわからないから、わからない、だけでなく、言葉以外の動作や音の雰囲気など、いわゆる非言語情報によって、理解しているわけです。つまり、コミュニケーションとは「理解すること」なのですが、非言語情報が大きなウエイトを占めているということになります。「言語はコミュニケーションのツール」ということが定説化していますが、ツールつまり道具としての力はどの程度なのかを考える必要があります。言語情報と非言語情報は対立的なものではなく、相互補完的なものだと考えられています。たとえば、政治家の発言は大きな反響があり、マスコミに取り上げられたり、現代だとインターネットなどで拡散されることで、政治家への評価が大きく変わります。一方で、政治家の行動、最近ではちょっとしたしぐさで、人物評価がなされることがあります。石破首相の「おにぎり」、服装、握手などの行動がネット上で話題になって、それが人物評価の要因になっている、という現象もあります。また胸につけるバッジは、会社や学校のシンボルであったり、最近ではSDGs、ブルーリボン、ピンクリボン、など社会的な意味をもたせた表象も多く、今は減りましたが、赤い羽根、緑の羽、なども同じコミュニケーション機能をもたせたものといえます。これらは、その表象の意味を理解していることが前提です。たとえば、電車のシルバーシートは、外国人観光客や子供は理解していないことが多く、対象者が目の前にいても平気でいる、といった現象もよく見られます。最近増えてきたピクトグラムも、わかりやすい、という反応だけではく、わかりにくい、という反応もあります。シルバーシートの窓などに描かれているピクトグラムは、それ自体はわかっても、どういう行動をとるべきか、までは理解できないこともあります。「優先席」は文字で示され、そもそもそういう習慣のない国の人には、どういう行動をとるべきか、理解できません。「誰が優先されるのか」は場合によって異なることもあり、そのルールの理解がないと通用しないのです。一方で喜怒哀楽のような行動は世界共通であることが多く、わかりやすいものです。非言語情報として、一括りにしてはいけない存在ですが、言語に比べると、低く見られがちです。実際には研究する学問分野があるのですが、言語に比べると、成果がまだまだ知られていません。政治家やアナウンサ、会社の営業など、対人関係を重視する職業の人は、「どうアピールするか」という産出の勉強はしますが、一般人が「どう理解するか」ということを学ぶことは少ないと思われます。しかし、現実には、異文化は行動に表れやすく、自分はほぼ無意識に文化的行動をします。たとえば日本人のお辞儀の習慣です。日本人以外の人には誤解されることもしばしばあります。上記のような職業の人も同じで、そこまでは訓練していないことが多く、失敗の原因にもなっています。

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