言語技能測定技術と言語教育理論⑪ 指文字による借入
![コラム挿絵:手話技能検定のイメージ画像](https://kanda-arc.net/wp-content/uploads/0ffa1fff6072239dc781a06c82dfcf7b.png)
日本の指文字は世界と比べると、かなり特殊なしくみになっています。日本語はすべて仮名で書こうと思えば可能です。書き言葉は「漢字かな混じり文」なので、実際には仮名だけだと、同音異義語や「送り仮名」の規則などがあって、かなり複雑な仕組みです。そのため、国語学習に多くの時間を費やしています。江戸時代までは、国民の多くが「文字が読めない」人が多い、つまり識字率が低かったのですが、それでも平仮名はなんとか読めた人が多く、世界的に見ると識字率は高かったようです。指文字は仮名対応なので、原理的には話し言葉をすべて表記できます。そのため、手話をする聴者の多くは、「知らない単語」はすべて指文字で表現しようとします。それも広い意味では「日本語対応手話」なので、手話を母語とする聾者には、わかりづらい表現になります。それは、日本語ではカタカナで外国語から借入した語、つまりカタカタ語を多用されると、わからない日本人が多いのと同じ原理です。カタカナ語だらけの「英語対応日本語」では、日本人にはわかりづらいのと同じ現象です。こうした、言語が入り交じった状態を「ピジン」といいます。ピジン言語は混淆語あるいは混交語と訳されています。ピジン英語は英語の非母語話者が英語を使う時に起きる現象を言います。以前はピジン言語を「劣等言語」として差別する時代がありましたが、今では、ピジン語も1つの言語であり、たとえば、世界に多数存在するため、英語圏の英語以外のこうした混淆語も英語の変種として認める国際英語(World Englishes)といいます。英語が複数形になっているところが注目点です。そして我らが日本英語もその中に入っています。こうした近代的な言語感覚に従えば、日本語対応手話も手話の変種と考えるのが正当です。聾者の中には「聾原理主義者」と称される思想の人もいますが、彼らは日本語対応手話を手話と認めていません。指文字だけの表現は「日本語の変種」であって、「手話の変種ではない」という思想ですが、その思想によれば、日本語も古来からのヤマトコトバ以外は日本語でない、ということになります。聾者という存在を多様性として主張する一方で、言語の多様性を認めないというのは矛盾した主張でしょう。多様性varietyの概念を理解し、変種を理解することが、重要です。手話語彙には指文字を混入させて造語した語彙が多数あります。単独に指文字を使う「シ長」(市長)のような例です。また現代手話に「スタバ」(スターバックス)があり、指文字「ス」が手型として利用されています。最初は指文字であることは意識しますが、慣れて多用するうち、指文字であることを忘れてしまいます。Starbucksをスタバと略称するのは日本語においては借入語ですし、それをさらに手話に借入しているわけです。こうした借入語は激増する傾向にあり、「手話の日本語化」つまりピジン化の速度は年々速くなっています。それをさらに促進しているのが、SNSです。言語現象として見ると、手話の変化は速くなっており、変種の生成も速くなってきて、さらに多種になってきています。手話の多様性も進んでいるわけです。
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 |