言語技能測定技術と言語教育理論⑮ 手話数字

指文字に多くの手話数字が入っている、ということは歴史的には、指文字より先に手話数字があった、という証拠になると思います。たぶん誰もそう思っていないらしく、そういう主張や論文を見たことがありません。しかし、手話研究としては重要な視点だと思います。指文字も大曾根G式になるまでに、いくつもの試作があり、その後も栃木式などの改良がありました。同様に手話数字も現代のようになる前には歴史があります。手話数字の変遷については、関心をもつ研究者もいます。手話の多くが身振りを起源とするように、手話数字も身振りを起源とするものが多く含まれています。たとえば「1」を一本指で表現することは、世界の指文字に共通しており、世界共通の身振りでしょう。身振りの中にも世界共通、つまり普遍的universalと考えられているものもあれば、文化によって異なるものもあります。例えば「お金」は日本ではOKのようにマルを作ることで示されますが、「紙幣」を示す身振りの文化が多く存在します。身振りの数字も1,2までは共通している文化が多いのですが、3からはかなり分かれます。薬指を立てる文化、親指を立てる文化、OKのように中指、薬指、小指を立てる文化に分かれます。こういう自由度のことを言語学では「恣意(しい)性」と呼んでいます。恣意性といっても、個人が勝手にやってよい、という自由度ではなく、文化を共有する社会では「決まり事」になっていて、社会ごとの自由性というのが言語の特徴です。手話数字は文化による恣意性があり、それは身振りの社会的恣意性と一致しています。つまり手話数字は文化に固有な存在なのです。言い換えると手話数字は日本手話の一部であり、日本文化の一部です。そこが日本国内に存在する別の言語、たとえばアイヌ語や在日外国人の混淆語とも違う点です。日本手話は日本固有の文化の一部である部分と、身振りとして普遍的な部分と、日本文化独自の部分もあり、日本語と共通な部分と共通でない手話固有の部分がある、という複雑な構成をしていますが、手話数字はその象徴といえます。手話数字の「一、二、三」は漢字に対応していますが、「四」は身振りの4に似ていますが、まったく同じではありません。「五」は現在では親指を横に出す形が一般的ですが、結果的に現代的に変化した指文字「あ」と同じになりました。起源的には「親指を縦に立てる」が最初で、それは「六~九」までが、親指が縦であることからわかります。しかし、この形は「男」の手話と同じなので、区別するために横にしました。当時、指文字の「あ」は親指が握った手にくっついていましたから、区別できたわけです。それが親指が離れる形に変化し、「五」と「あ」が同じになってしまったという歴史です。言語変化の世界ではよくあることですが、区別しようと変化しているうちに、元は別々であったものが一緒になってしまうことがあります。また変化しているうちに、原型がわからなくなることも、しばしばあります。語源も後世の人がいろいろな説を出すことで、いわゆる「民間語源」が氾濫し、「諸説があります」ということになってしまいます。
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