言語技能測定技術と言語教育㉓ 文法学習
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移行法の根幹は母語の知識を活かす、ということなので、どうしても翻訳中心になります。翻訳は、学校でやってきた英文解釈と基本は同じです。学校の英文解釈との違いは、英文解釈の回答は直訳的で、日本語としておかしくても、内容が正しければOKです。翻訳の場合は、著者の意図が正確に伝わることが重視されるため、「意訳」によって、日本語として読みやすいことが求められます。学校の英文解釈では、辞書と文法書が必須です。辞書を引くのもけっこう厄介ですし、たくさん載っている訳語から、どれを選ぶかも苦労します。どうしても最初に載っている訳語を選びがちで、変な訳になったり、誤訳になったりします。文法書となると、さらに厄介なので、多くの人は苦手になり、英語が嫌いになり、英語が不得意という人が多くなる原因とされています。移行法の語学では、母語の知識を基本に置くので、辞書に載っている日本語がわからないと、まず翻訳は無理です。文法は何のためにあるか、というと、「一番効率のよい学習法」だからです。外国語を母語に訳す場合、たくさんの文例を学んで、経験を積むことがベストです。実際、江戸時代の外国語学習は、まず先駆者がいろいろな知識を駆使して辞書を作りました。英語は後から入ってきたので、オランダ語と英語の翻訳や辞書を頼りに、英和辞典を作りました。文法の知識はほとんどなかったので、翻訳した語を頼りに、必至に考察を巡らせて、意味を想像する、という辞書頼りの翻訳でした。辞書も公開ではなく、翻訳者は各自の秘蔵でしたから、正に秘術を尽くしての作業だったわけです。文法書が作られた動機は、聖書翻訳でした。聖書は最初、ヘブライ語で書かれ、それがラテン語やギリシア語に訳されました。宗教革命で、各国語の翻訳が必要になった時、3つの言語を比較しつつ、自国語に翻訳するのですが、語彙は違っていても、大体の語順は似ていて、文の変換に法則性が見出せました。この法則性が文法です。ヨーロッパの言語は似たような文法構造をもっていて、インドーヨーロッパ語族と呼ばれる言語グループに属していたことが幸いしました。文法変換に規則性が見られたことで、それこそが「神の言葉」であり、論理であると考える人が今も多いのはそこに原因があります。ヨーロッパ間の言語間の翻訳は文法的な違いのパターンを学習し、辞書により語彙の違いを変換できれば、翻訳はかなり楽かつ正確にできます。この法則性は古代語を研究する場合にも適用され、歴史的変化の過程も規則性が見いだされ、比較言語学という分野が発達し、それが近代言語学の最初でした。こうした翻訳訓練の技術が語学に採り入れられたのがヨーロッパの語学ですが、明治維新による日本の語学はこの「最新技術」がそのまま採り入れられました。ところが、ヨーロッパの言語と日本語は文法がまったく異なります。ヨーロッパの言語同士のような、機械的な変換では、とても歯が立ちません。まず最も目につく、語順がまったく違いますし、主語、目的語という概念や、動詞、名詞などの品詞も違います。文法学習は日本人にはハードルが高いのは当然のことでした。
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