上巳の節句


コラム挿絵:ひな人形のイラスト

今年の3月3日は上巳(じょうし、じょうみ)の節句です。上巳の節句はいわゆる桃の節句、雛祭りです。「上巳」は上旬の巳の日の意味であり、元々は3月上旬の巳の日であったものが、古来中国の三国時代の魏の頃より3月3日に行われるようになったと言われています。今年は巳年でもあり、とくに縁起がいいかもしれませんね。あいにく、日付の方は巳ではなく、未(ひつじ)です。この日は旧暦だと2月4日であり、慶長9年(1604年3月4日) には江戸幕府が、東海道・東山道・北陸道の3道に江戸日本橋を起点とする一里塚を設置したという記念的な日です。また元禄16年(1703年3月20日) 江戸幕府が赤穂浪士46名に切腹を命じた日でもあります。赤穂四十七士というので、46人というと変に思われる方もいると思いますが、討入りの際に脱落した寺坂吉右衛門も加えて一般に四十七士というのです。寺坂は討ち入り後に大石から密命を受けて一行から離れたという説、足軽の身分の者が討ち入りに加わっていることを大石が公儀に憚りがあるとして逃したという説などがあります。四十七士と呼ぶのは、作家の大佛次郎が『赤穂浪士』で書いたことが一般的になったものである、とされています。小説によって歴史観が変わることはよくあります。上巳節に雛人形を飾るのは、日本特有の文化です。古代中国では、『後漢書』礼儀志上にあるように「官民皆な束流の水の上に潔し、洗濯祓除と曰う。宿き垢痰を去りて大潔を為すなり」とあり、官民そろって水辺に出て祓除をする行事であったそうです。琉球では、海浜に出かけ、手足を海水に浸して身を清めて健康を祈願する。またご馳走を持ち寄って浜辺で食べるという、「浜下り」という行事があり、中国文化の影響が見られます。浜下りは、沖縄本島ではハマウリ、ハマオリ、宮古諸島ではサニツ、八重山諸島ではサニズ、徳之島や奄美大島ではハマウリと呼ばれているそうで、昔から続いている伝統行事だそうです。古代中国では、三月上巳に限らず、季節の節に同様の祓除が行われ、この祓除の行事が宮中では洗練され、曲水宴として人工の流水に盃を浮べて酒を飲む宴と変遷した、といわれています。唐代に至ると、曲水宴は宮中だけでなく上流階級の私宴となり、次第に上巳節は本来の川禊が失われて水辺での春の遊びと変化し、庶民にとっては農事の節日へと展開していったのだそうです。台湾や朝鮮でも、踏青というピクニックのような行事が行われ、朝鮮ではサンジナルと呼ばれているそうです。地域が違うと文化も異なり、同じ日に別々の行事が行われるというのは、歴史が感じられて興味深いです。雛祭りの起源は平安時代より前であり、京の貴族階級の子女が、天皇の御所を模した御殿や飾り付けで遊んで健康と厄除を願ったのが始まりとされています。それが武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の人形遊びと節句が結び付けられ、行事となり発展して行ったと考えられます。その後、紙製形代に穢れを移し、川や海に流して災厄を祓う流し雛になったそうです。江戸時代から、雛祭りは女子に、端午の節句は男子の節句となり、現在に至ります。

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