外債の発行

明治3年(1870)4月23日(旧暦)、 明治政府が鉄道敷設の為、ロンドンで初の外債を発行しました。
今はあまり区別をしなくなりましたが、国が発行する債券、つまり国債には国内向けに発行する内債(内国債)と外国に向けて発行する外債があります。その意味は大きく違います。簡単にいえば、借金する相手が自国民か外国か、の違いです。間違いやすいのが外債と外国債です。外国債は外国で発行された債権のことです。内国債と外債は円建てですが、外国債はその国の通貨ですから、通貨の交換比である為替の影響があります。ただ現在は日本政府が外国向けに発行する外債と外国政府が発行する外国債の区別をしない傾向があります。
日本政府が発行した最古の外債は、江戸幕末の1866年にソシエテ・ジェネラルを窓口として発行した3500万フランだそうです(wikipedia)。明治時代の初の例が1870年ロンドンで発行された9分付英貨国債100万ポンド(当時の相場で488万円相当)であり、調達資金は新橋駅-横浜駅間の鉄道建設費用に充てられました。江戸幕府がフランスから、明治政府がイギリスから借金したのも当時の世界情勢と日本の関係を象徴しています。
1873年には秩禄処分の費用を捻出するため7分付英貨国債240万ポンド(当時の相場で1,171万円相当)を発行しました。これは発行額面100ポンドにつき92.5ポンドで売出されるという未開国の発行基準扱いによるものでした。この利付債券というのは利子分を差し引いて渡す、というもので、今も時々あります。
その後、しばらくは外債発行はなかったのですが、日露戦争においては総額にして約8億円相当の戦費を調達するために外債を発行しました。外債は引き受け手がなければ成立しないので、国際的信用がないとなかなか調達できません。明治政府は、当時の実力が欧米では高くなかったので相当苦労しました。もし戦費が調達できなかったなら、日露戦争は継続できず敗戦に終わったことでしょう。これは現代でも同じで戦費の調達が勝敗を決めます。政府は日常でも国債を多く発行しますが、戦争となると、国内からの調達だけでは間に合わないので、外国に求めることになります。外国の出資者は政府であることは少なく大銀行家で、その国が負ければ返ってこないリスクもあるので、博打になります。いくら利息を先取りしていても元本がなくなれば意味がありません。黙って借金させてくれることはなく、当然、何かの担保とか密約があります。しかし、それは公開されることはありません。
一方、国内債の場合は「紙切れ一枚」です。国への信用度が前提となっています。現在の日本政府はアメリカ債を世界一保有しています。それは日本がアメリカという国を最大限に信用しているということです。よく外国債の儲け話が出ますが、外国債の多くは高い金利がついているからですが、言い換えると高い金利でないと買ってもらえない、つまり信用度と金利は反比例します。しかも為替がそこに絡みますから、利益と損失の幅が大きく、投機は要注意です。国内債はそういうリスクは少ないので利息も少ないわけです。
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