風土記の始まり

風土記というのは時々、番組のタイトルになることがありますが、その起源はかなり古く、奈良時代初期の元明天皇の詔により各令制国の国庁が編纂したものが最初です、風土記とは、一般には地方の歴史や文物を記した地誌のことを指すますが、狭義には、日本の奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた報告書を意味します。つまり定義は意外に曖昧なので、奈良時代の官製の風土記を普通の風土記と区別して「古風土記」ということもあります。
古風土記は律令制度の各国別で記されたと考えられ、幾つかが写本として残されています。ただし、この時点では風土記という名称は用いられておらず、律令制において下級の官司から上級の官司宛に提出される正式な公文書を意味する「解」(げ)と呼ばれていたようです。なお、記すべき内容として、①国郡郷の名、②産物、③土地の肥沃の状態、④地名の起源、⑤伝えられている旧聞異事などがあるそうです。しかしこれらの官製の書物も散逸し、現存するものは全て写本で、『出雲国風土記』がほぼ完本として残っている他、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態で残っています。(Wikipedia参照)これらの書物は当時の実態を知る上で貴重な資料であり、世界的には珍しいといえます。
歴史書のほとんどは、その時々の政権に都合のよいように書かれます。それが「正史」であるのに対し、いわば裏歴史ともいえる実態が記録されていて、後代の人々にとって、むしろこちらの方が価値があるといえます。日本では古来、歴史もタテマエとホンネが使い分けられていたのかもしれません。もっとも、この風土記の多くは散逸していて、後の時代に補填された「逸文(いつぶん)」と呼ばれる、他の文書からの引用とか、伝聞なども含まれているので、絶対に真実を伝えているともいえない側面があります。文字で書かれているからといって、すべて信じられるとはかぎらないのです。
これは現代においても同じで、多くの文章があり、とくに近年はメールやブログ記事、新聞や雑誌など多くのメディアから発信される文字による文章がすべて真実を伝えているとはかぎらないのが実情です。では何を信じたらよいのか、という疑問がでてきますが、それは1つのソースをそのまま真実として信じるのではなく、複数のソースを比較して、「少しでも真実に近づく」という努力が必要です。真実かどうかは、最終的には個人的な判断であり、事実とは異なるのが普通です。人により真実と信じる内容が異なります。真実と事実の違いをまず認識し、真実とは自分の認識上の現実であるという理解が重要です。それは文字化されていても同じことで、書いた人の真実であり、完全に事実と一致していることは意外に少ないものです。まして伝聞の記述では信頼度は低くなります。自分が見たこと、聞いたことだけが真実であり、それでも事実ではない、という感覚はなかなか身につきません。風土記を読んで、昔を想像しつつ、その想像は自分の想像上の真実である、という感覚を練習してみてはいかがでしょうか。
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |