大日本史

大日本史は、江戸時代の水戸藩が中心となって編纂した日本の正史です。編纂開始から完成まで、実に250年以上を要したこの大事業は、単なる歴史書にとどまらず、近世日本の思想や政治意識、そして国家観を体現した存在として、今もなお高く評価されています。
大日本史の編纂が始まったのは、17世紀後半のことです。水戸藩二代藩主・徳川光圀(とくがわ みつくに)が、歴史を通じて人心を正し、徳川家の支配正当性を高めることを目的として、元禄年間(1680年代)にこの編纂を命じました。当時の光圀は、中国の『二十四史』に倣った「正史」を日本でもつくるべきだと考えており、『大日本史』はその構想に基づいて始まった国家的プロジェクトだったのです。光圀といえば「水戸黄門」として、全国を回って勧善懲悪をした話が広がっていますが、あれはフィクションであり、光圀の本当の業績は大日本史です。光圀の命により、江戸・水戸に設けられた「彰考館(しょうこうかん)」には、全国から優秀な学者が集められました。
編纂は儒教的な史書スタイルに基づき、中国的な「紀伝体(きでんたい)」で構成されています。すなわち、「本紀(天皇の記録)」「列伝(臣下・諸侯など)」「志(制度・文化などの解説)」に分かれており、中国正史の形式を踏襲しているのが特徴です。大日本史はその内容においても、単なる事実の記録にとどまらず、明確な思想的立場を持って編まれました。特に重要なのが、尊王論の思想です。水戸学と呼ばれる水戸藩独自の学問では、天皇を中心とした国家の理想を重視し、大日本史もその立場に立って歴代天皇の系譜や功績を詳述しています。これは、後の幕末尊王運動にも大きな影響を与えました。
また、大日本史は南朝正統論を採用していたことでも知られています。これは、南北朝時代において、足利尊氏が擁立した北朝ではなく、吉野に拠った南朝(後醍醐天皇ら)こそが正統であるとする立場です。当時の幕府は北朝系の天皇を正統としていましたが、水戸学ではこれに異を唱え、あくまで天皇の万世一系的正統性を主張したのです。この考えは、明治維新における王政復古の思想的根拠ともなり、結果的に大日本史は幕末から明治初期の国体形成において極めて大きな影響を与えることになります。
大日本史は単なる歴史書ではなく、思想書・政治書としての性格も強く帯びています。そしてそれを可能にしたのは、水戸藩という一地方大名の枠を超えた、壮大な歴史観と使命感にほかなりません。光圀の死後も編纂事業は中断することなく、水戸藩歴代藩主の支援のもと続けられ、明治39年(1906)にようやく全402巻・別巻5巻として完成しました。
江戸時代に始まり、近代国家が成立した明治時代に完成を見るという、この長大な編纂事業の継続性には驚嘆すべきものがあります。今日では、大日本史は学術的資料としての価値はもちろん、幕末思想史や国学史、水戸学の研究において欠かせない基礎文献とされています。そこに込められた尊王思想、そして日本という国家のあり方への問いかけは、21世紀の私たちにとっても、決して過去の遺物ではありません。
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