ロシア独立記念日(ロシアの日)

1990年6月12日、旧ソビエト連邦(ソ連)に属していたロシア共和国は、「国家主権宣言」を採択しました。この出来事は、当時の国際社会にとっては一地方の自治拡大のようにも見えましたが、実際には後のソ連解体、そして現代ロシア連邦の誕生へとつながる大きな転換点となったのです。
この年、ソ連は多くの問題を抱えていました。経済の停滞や物資不足、軍拡競争の疲弊、さらにペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)といったミハイル・ゴルバチョフ政権の政策により、旧来の体制が大きく揺らいでいました。国内の各構成共和国では、自主性や独立を求める声が強まり、中央のモスクワ政府に対する反発が高まっていきました。そのような時代背景の中、ロシア共和国は国家主権宣言を採択します。この宣言では、ロシア共和国の法がソビエト連邦の連邦法よりも優先されること、つまりロシア国内においては自国の憲法と法律が最上位にあると明記されました。これは「独立宣言」ではありませんでしたが、ソ連の統治下における法的主導権の奪還を意味し、象徴的な意味での「自立」の第一歩といえるものでした。
当時、ロシア共和国の最高会議(議会)の議長を務めていたのは、ボリス・エリツィン氏です。彼は、保守的なゴルバチョフ政権に反発し、民主化や市場経済への移行を掲げる改革派として人気を集めていました。エリツィン氏は「中央ではなくロシア(共和国)を信じよう」と訴え、ロシア国内で強い支持を獲得します。国家主権宣言は、直ちに法的拘束力を持つものではありませんでしたが、その政治的・心理的な影響は絶大でした。これをきっかけに、ウクライナやベラルーシ、バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)など、他の共和国でも次々と主権や独立を主張する動きが広がっていきます。こうしてソ連の中央集権体制は大きく揺らぎ、崩壊への道をたどることになるのです。
翌1991年6月、ロシア共和国では初の大統領選挙が行われ、エリツィン氏が圧勝します。その後12月には、ロシア・ウクライナ・ベラルーシの3国による「ベロヴェージ合意」によってソビエト連邦は正式に解体され、ロシア連邦がその後継国家として誕生します。現在、6月12日は「ロシアの日(День России)」という国家の祝日として記念されています。これはロシア国家の新たなスタートを象徴する日とされていますが、国内の評価は必ずしも一様ではありません。1990年代のロシアは経済の混乱や治安の悪化、政治的混迷に直面しており、「この日を祝う意義」を問う声も少なくなかったのです。しかし2000年代以降、国家としての安定とともに、政府は6月12日を「国家の誕生日」として積極的に記念するようになりました。現代のロシアでは、国旗掲揚やコンサート、各地での祝賀行事などが行われ、市民の参加意識も高まりつつあります。ロシア国家主権宣言から30年以上が経過した今、当時掲げられた「主権」と「自由」は、国内外で改めて問い直されるべきテーマとなっています。民主化を目指した一つの理想の出発点となった1990年6月12日は、今日において重い意味を持ち続けています。
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