タージ・マハル


コラム挿絵:タージ・マハルのイラスト

インド北部、ウッタル・プラデーシュ州アーグラの地にそびえる白亜の霊廟タージ・マハルは、「愛の象徴」として世界中から観光客を惹きつけてやまない建築物です。しかし、この壮麗な建築は単なるロマンの産物ではなく、帝国の栄華と苦悩、そして一人の皇帝の哀惜の物語を背景にしています。
タージ・マハルを語ることは、同時にムガル帝国という一大イスラーム王朝の歴史をたどることでもあるのです。ムガル帝国は、16世紀初頭に中央アジアからインドに侵攻したバーブルによって創始されました。彼はティムールとチンギス・ハーンの血を引く名門の出身で、1526年のパーニーパットの戦いで北インドの支配権を握ります。その後、アクバル大帝(在位1556–1605)によりムガル帝国は最盛期を迎え、宗教的寛容と官僚制度の整備、絵画や建築といった文化の飛躍的発展を遂げました。ムガル帝国の宮廷ではペルシア文化が重んじられ、ヒンドゥーとイスラームの融合が進みました。そして17世紀、アクバルの孫にあたるシャー・ジャハーン(在位1628–1658)の時代、帝国は芸術と建築の黄金期を迎えます。彼の治世中に建設されたのが、タージ・マハルでした。この霊廟は、シャー・ジャハーンが愛妻ムムターズ・マハルの死を悼み、1632年頃に着工したもので、完成には約22年を要しました。ムムターズ・マハルは1631年6月17日に亡くなり、その後すぐに霊廟の建設計画が始動し、1632年初頭には本格的な建築が開始されたとされています。ムムターズ・マハルは皇帝の最愛の妃であり、14人の子をもうけるも、14人目の出産直後に産褥で世を去りました。その悲しみは深く、シャー・ジャハーンは国家の財政を傾けても、彼女のために「世界で最も美しい墓」を建てることを決意したのです。
タージ・マハルは純白の大理石で造られ、その表面にはアラビア語のクルアーン(コーラン)の章句や花模様が精緻に彫られています。中央ドームは高さ73メートルに達し、左右対称の設計と水鏡を配した庭園は、イスラーム建築における「天国の理想」を具現化しています。また、設計にはペルシア、トルコ、インドの様式が融合し、ムガル美術の集大成といえるものになっています。しかし、タージ・マハルの完成後、シャー・ジャハーンの晩年は平穏ではありませんでした。1658年、彼の息子アウラングゼーブが父を廃位し、王位を簒奪。シャー・ジャハーンは晩年をアーグラ城の幽閉生活で過ごしました。窓からは、遠くにタージ・マハルを望むことができたといわれています。彼は1666年に死去し、ムムターズの隣に葬られました。ムガル帝国はその後も存続しましたが、アウラングゼーブの強硬な宗教政策により内部対立が激化し、18世紀にはマラーター勢力やヨーロッパ列強の進出により次第に衰退。19世紀にはイギリス東インド会社の支配下に置かれ、最終的には1858年に正式に滅亡しました。タージ・マハルは、ムガル帝国の権勢とその衰退を象徴する建築でもあります。世界遺産に登録された今日でも、その美しさは色あせることなく、人々に愛と儚さ、そして歴史の深さを語りかけています。

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