『我が闘争』の評価


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1925年7月18日、アドルフ・ヒトラーの著書『我が闘争(Mein Kampf)』の第1巻が出版されました。この書物は、後にナチス・ドイツの思想的根幹となり、第二次世界大戦とホロコーストへとつながる数々の政策や信条の土台を築いたものです。言葉がいかに暴力を導き、現実を変えてしまうのか。その象徴ともいえるこの書物について、今あらためて見つめ直す意義があります。
『我が闘争』は、ヒトラーが1923年の「ミュンヘン一揆」に失敗し、ランツベルク刑務所に収監されていた間に執筆されました。共同で活動していたルドルフ・ヘスが口述筆記を手伝い、ヒトラーの世界観や政治理念、またドイツの将来に関する「設計図」が語られています。第1巻は彼自身の自伝的要素を含みながら、第一次世界大戦での敗戦への憤り、ヴェルサイユ条約への敵意、マルクス主義や民主主義への否定、そして「ユダヤ人陰謀論」など、極めて過激な主張が展開されています。第2巻ではナチ党の組織やプロパガンダのあり方について語り、権力掌握の戦略が明示されました。この本の問題点は、特定の民族や思想への偏見を「理論」として提示し、それを国家政策として実行可能な形で示唆した点にあります。特にユダヤ人に対する敵意や、人種的優越思想、独裁的支配の肯定は、ナチズムの中心イデオロギーとして機能しました。ドイツでは出版当初は大きな反響を呼びませんでしたが、ヒトラーが1933年に政権を握ると一転、結婚祝いの定番ギフトとして配布され、数百万部が刷られるに至ります。そして、そこで語られた「領土拡大」や「民族純化」は、現実の政策として欧州に戦火をもたらし、600万人を超えるユダヤ人の命が奪われるホロコーストの惨劇へとつながっていったのです。第二次世界大戦後、『我が闘争』の出版はドイツを中心に長く禁じられてきました。著作権はバイエルン州が所有しており、ヒトラーを英雄視する目的での再出版を厳しく制限していました。しかし2016年、その著作権が失効したことに伴い、ドイツ現代史研究所(IfZ)により注釈付きの学術版『我が闘争』が刊行されました。この版は1,000ページを超える大著であり、ヒトラーの誤りや虚偽、歴史的文脈について詳細な注釈を加えることで、盲目的な崇拝や誤読を防ぐ意図が込められています。しかし、この取り組みは賛否を呼びました。再出版そのものに拒否感を抱く人々も多くいましたが、同時に「危険な思想を封印することが教育なのか」「語らずして再発を防げるのか」という問いが社会に投げかけられました。日本でもこの書は翻訳され、複数の出版社から刊行されてきました。ただし、学術的な目的で扱われる一方、一部には政治的偏向のある文脈で用いられるケースも見受けられ、内容の危険性を理解しないまま拡散されるリスクも残されています。ヒトラーが言葉によって大衆を動かしたという歴史の教訓は、情報化社会の今こそ、あらためて私たちが考えるべき主題ではでしょう。そして、「思想を封印する」のではなく、「思想の本質を暴き、教訓とする」姿勢が、歴史と対話し続けることこそ現代社会に求められているのです。

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