ボズワースの戦い ─ 薔薇戦争を終わらせた決定的一戦

1485年8月22日、イングランド中部レスター近郊のボズワース原野で、後世に「ボズワースの戦い」と呼ばれる歴史的戦闘が行われました。この戦いは、30年にもおよぶ王位継承争い「薔薇戦争」の最終章であり、イングランド中世史における大きな転換点でもあります。リチャード3世の敗北とヘンリー・テューダーの勝利は、テューダー朝の成立へとつながり、やがて絶対王政への道を切り開くことになるのです。
薔薇戦争は、1455年から1485年までの約30年間にわたって続いたイングランド国内の内戦です。主に王位継承をめぐるランカスター家(赤い薔薇)とヨーク家(白い薔薇)の二大貴族勢力による争いであり、複数の戦闘や政変を通じて、王が何度も入れ替わる混乱の時代でした。この時期、王権は著しく不安定で、国王の能力や正統性、さらには諸侯の忠誠が揺らぎ続けました。王家同士の血縁関係も複雑で、とくに注目されるのは、ヨーク家出身のエドワード4世と、その死後の王位継承をめぐる事件です。エドワード4世の死後、王位は幼い息子エドワード5世に継がれるはずでしたが、その叔父であるリチャード・グロスター公が「保護者」として政治の実権を握り、やがて王位を奪取してリチャード3世として即位します。このとき、少年王エドワード5世とその弟リチャードはロンドン塔に幽閉され、その後消息を絶ちました。この「塔の王子たち」の失踪はリチャード3世への強い不信と反発を生むこととなります。
こうした混乱のなかで登場したのが、ランカスター家の遠縁にあたるヘンリー・テューダーです。彼は母親の系譜を通じて王位継承権を主張できる立場にあり、フランスでの亡命生活の後、1485年にウェールズに上陸し、イングランド王位奪還を目指して進軍を開始しました。ヘンリーは多くの貴族の支持を得て、ロンドンを目指して進軍します。その中には、ヨーク家に表向きは忠誠を誓っていたものの、リチャード3世の専制的な統治に不満を抱いていた者たちも含まれていました。こうして、リチャード3世とヘンリー・テューダーの軍勢はボズワース原野で激突することになります。戦いの規模はそれほど大規模ではありませんでしたが、両陣営の運命を決めるには十分なものでした。リチャード3世は騎士道精神に基づき、自ら最前線で戦い、敵将であるヘンリー本人を討ち取るべく突撃を仕掛けました。しかしこの大胆な攻勢は裏目に出ます。リチャード軍の有力貴族であったスタンリー家が戦いの最中に中立を破り、ヘンリー側についたことで形勢は一気に逆転。リチャード3世は乱戦の中で戦死し、戦場にその遺体を晒されるという最期を遂げました。
彼はイングランド史上、最後の「戦死した国王」となりました。リチャード3世の死により、ヨーク家は事実上滅亡し、薔薇戦争は終結します。勝者ヘンリー・テューダーはヘンリー7世として即位し、新たにテューダー朝を開きます。そして内戦を終息させるために、敵方であったヨーク家のエリザベス王女と結婚し、両家の統合を象徴しました。統合は、赤と白の薔薇を合わせた「テューダー・ローズ」という紋章にも表されています。
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