手話の雑学3


手話で話す女性のイラスト

よく「手話は世界共通ですか?」という質問を受けます。この背景には「身振りは世界共通」という誤解があるように思われます。私たちは外国人とのコミュニケーションで、ことばによるコミュニケーションがむずかしい、と思うと、いわゆる「身振り、手振り」で伝えようとします。なぜ身振りなどが伝わりやすいと考えるのか不思議ですが、「自然に」そう思ってしまうのです。実際、かなりの程度、意図が伝わります。喜怒哀楽などの表情はほぼ共通ですし、肯定や否定もだいたい伝わります。そして、上下左右、前後などの方向を示したり、指差しで指示するのは世界共通です。違うのは数字の表示、お金のサイン、箸で食べるしぐさなどです。「おいしい」や「自分」などは国による文化の違いが表れてきます。こうして身振りを考察してみると、一概に、世界共通でない、世界共通だ、といえず、「共通部分もあれば、共通でない部分もある」というのが正しい認識です。

同じことが手話についてもいえます。世界の手話を比べてみると、「共通部分もあれば、共通でない部分もある」といえます。これは言語の世界では異質です。言語が似ている場合、あるいは共通部分があるのは、互いに親縁関係がある場合です。欧米の言語はだいたい似ています。これは同じ「語族」に属するからです。その中でも、とくに、フランス語とイタリア語とスペイン語は似ていますし、英語とドイツ語、オランダ語も似ています。いわゆるラテン語系とゲルマン語系です。こういう言語の類似は民族的な親縁関係があるということで、ヨーロッパの大きな言語系としては、他にロシア語やウクライナ語のようなスラブ語系もがあります。そしてこれらの語系は民族的親縁性だけでなく、宗教的な親縁性もあります。そこで人類学では、言語と民族と宗教、ときには人種も含めて共通性を考えてきました。この人類学的常識から、手話を考えてみると、手話はかなり特殊な言語です。

手話の異同は民族や宗教や人種の共通性がほぼありません。実は欧米の手話はラテン語系の国々やゲルマン語系の国々でも、かなり共通性があります。その原因は割とはっきりしていて、手話が聾教育の普及と同じように広がっているからです。言い換えると「手話は聾教育によって広がった」という仮説が浮んできます。この仮説は日本でもアメリカからの受け売りで定説化されています。日本の聾学校は明治以降にできたので、日本の手話は明治から始まったという主張です。しかし、この手話の起源は聾教育であるという主張は、「手話は聾者の言語である」という主張と矛盾します。なぜなら、聾者は明治以前からいるからです。欧米でも聾教育以前に聾者は手話でコミュニケーションしていたということがわかってきて、現在では、聾教育以前の手話と聾教育以後の手話に違いがある、という説になっています。

ここで再び、手話と身振りの共通点、そして聾教育と手話の関係を考えると、聾教育以前の手話は身振りに相当近かったという推測が成り立ちます。つまり聾教育によって手話が進化したわけです。ここに教育と言語進化の関係がわかってきます。

2025年9月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  

コメントを残す