手話の雑学51


手話で話す女性のイラスト

非言語情報の利用では、嘘がつきにくい、という現象が見られます。訓練すれば、表情や身振りも、嘘をつくことは不可能ではなく、役者のように演技できる人もいますが、普通の人は「自然に」「無意識のうちに」行動が出てしまいます。時にはコトバより強い訴求力があります。そして「身振りと言語は同期する」という法則があります。表現を換えると、「ことばと身振りは別々にできない」ということです。たとえば「万歳」の時、両手を上げるには、ことばと同時でないとできません。あるいは「やったね!」ということばと、手を握りしめることも同時です。このように身振りと言語は必ず一緒でないと表現できないのです。

では手話はどうかというと、学習者の段階では、発話と手話は同時でないとうまくいきません。しかし上級のプロになると、「言っていることばと手話が別々」にすることが可能です。これは訓練の結果です。日本語を話しながら、手話表現ができようになります。これは同時通訳の特徴です。よくみる音声の同時通訳は英語を聞きながら日本語を話し、日本語を聞きながら英語を話すことができます。しかしそのためにはかなりの訓練と才能が必要です。手話同時通訳では、別々の言語を操れる人と、日本語と日本語にほぼ対応した通訳があります。普段、見ることが多い手話通訳のほとんどは後者のタイプです。それだけ別の言語の同時通訳はむずかしい特殊技能です。意訳の同時通訳は相当に高度な技術ですから、本来、それに見合うだけの報酬があります。音声言語の場合はそういうシステムが確立されていますが、手話の場合はそれに至っていないのが現状です。その原因は利用者の意識の問題です。日本語と英語の同時通訳では、日本人側がそれだけの報酬を払ってでも、同時通訳サービスを受けたいと思っていますが、手話同時通訳の場合、聾者も聴者も利用する側が技術を正当に評価していないのです。よく価格は需要と供給のバランスと経済学でいいますが、それは商品の場合であって、サービスの場合は必ずしもそうなっていません。実際、高度な手話通訳ができる人はごく少数であり、サービスの提供機会は少ないので、経済原則に従えば高報酬になるはずですが、実際はそうなっていません。サービスの場合は、量の多少のバランスではなく、価値判断が報酬を左右します。たとえば、日本のおもてなしの価値は、外国人からの指摘があって初めて評価されるようになりましたが、それまでは日本人にとって「当たり前」だと思われていました。欧米ではそうしたサービスはチップという制度で評価されるシステムがあるのですが、日本はチップという評価制度がないため、「当たり前」という風習になっています。この風習が手話通訳というサービスにも影響しました。手話通訳を利用することは「当たり前」と考える聾者や聴者が多いのが実情で、そのため高度な技術に対する価値評価が低いという現実です。これを改正するには、まず日本語と手話の言語としての違いをよく知り、その変換技術がいかに大変かを理解することから始まります。それが手話通訳への正しい評価につながると考えています。正しい評価と正しい報酬が技術の発展につながると思います。

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