十三夜


十三夜の月のイラスト

今夜は十三夜です。秋も深まり、空気が澄んでくると、夜空の月がいっそう美しく見えるようになります。旧暦九月十三日の夜にあたる「十三夜(じゅうさんや)」は、十五夜の満月から少し欠けた月を愛でる、日本独自の月見行事です。十五夜の月を「中秋の名月」と呼ぶのに対し、十三夜は「後(のち)の月」あるいは「栗名月」「豆名月」ともいわれ、秋の実りを感謝する夜として古くから親しまれてきました。十五夜が中国伝来の行事であるのに対し、十三夜は純粋な日本生まれの風習です。平安時代には貴族たちが詩歌の会を催し、やがて江戸時代には庶民の間にも広がりました。十五夜だけを祝って十三夜を祝わないことを「片見月」と呼び、縁起が悪いとされました。完全な満月だけでなく、わずかに欠けた月にも美を見いだす――その感性こそ、欠落の中に豊かさを見つける日本人の美意識の表れでしょう。

そんな十三夜の月は、文学や音楽の世界でも多くの作品を生みました。中でも有名なのが、明治末期に流行した歌謡「十三夜」です。冒頭の「橋の柳も徒然に」という一節は、物憂げな夜の情景を鮮やかに描き出します。橋のたもとで風に揺れる柳、そこに差し込む淡い月光。十三夜の月は満ちきらぬ光を宿し、別れた人への思いを静かに呼び覚ますのです。この歌は、作詞を近松秋江、作曲を岡野貞一とする説が知られていますが、当時の流行歌には諸説あり、口伝や地方歌としても広まりました。歌詞はおおむね「橋の柳も徒然に 映す月影十三夜」という情緒的な内容で、恋の別れや過ぎし日々への郷愁がにじみます。十五夜の華やかさに対して、十三夜の月はどこか影を帯び、未練や寂しさを象徴する存在として描かれたのです。この歌が広まった時代、明治末から大正にかけての日本は、文明開化の熱気が一段落し、人々の心に「失われたもの」への哀感が漂いはじめた頃でした。洋装の街並みにも、どこか懐かしさを求める心が残っていた。十三夜の月は、そんな近代の不安と郷愁を包み込むように照らしていたのかもしれません。

「橋の柳」という風景も象徴的です。柳は古来、別れや再会の象徴とされ、「柳の下で別れた」「柳の陰で待つ」といった表現が多くの恋歌に見られます。風にそよぐ柳と、少し欠けた月。その取り合わせに、完全には届かぬ思い――それでもなお、光を宿す人間の情が重なります。

十三夜の月を見上げるとき、人は「もう一度会いたい誰か」を思い出すのかもしれません。十五夜が“盛りの月”なら、十三夜は“余情の月”。その光は穏やかで、どこか心の奥を撫でるようです。

現代では十三夜の風習を知る人も減り、都会の灯に月がかすむことも多くなりました。しかし、夜風の中でふと月を見上げると、「橋の柳も徒然に」という旋律がどこからともなく聞こえてくるような気がします。過ぎ去った日々、去っていった人、言葉にならない思い――それらすべてを月は静かに受け止めています。十三夜は、満ちることのない美しさを教えてくれる夜です。欠けているからこそ、そこに余白があり、やさしさや懐かしさが生まれるのかもしれません。

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