ブラックマンデーの背景
BlackというとBLMのような黒人運動を連想しがちですが、Black Mondayは1987年10月19日(月曜日)に香港を発端に起こった世界的株価大暴落のことです。今から35年前ですから覚えている人も多いでしょう。米国のダウ平均株価は508ポイント(22.6%)下落しこれは過去最大の1日の減少率でした。大量の売りが1日を通して急激な価格下落を引き起こしS&P 500指数とウィルシャー5000指数はそれぞれ18%以上下落しS&P500先物は29%下落しました。総取引量があまりにも多かったため、当時のコンピューターや通信システムは機能せず、注文は1時間以上も滞り、大量の資金移動が何時間も遅延しシステムが長期間停止したことで混乱はさらに深まりました。
世界の主要23市場すべてが、その10月に同様の暴落を経験しました。共通の通貨米ドルでみると、8か国で20?29%、3か国で30?39%(香港、オーストラリア、シンガポール)、3か国で40%以上(マレーシア、メキシコ、ニュージーランド)の暴落が発生しました。全世界での損失は1兆7000億米ドルと推定されています。各国とも金融市場の低迷がより広範な実体経済に波及し、米国、西ドイツ、日本の中央銀行は、金融機関の債務不履行を防止するために流動性を供給しました。しかし危機を受けてニュージーランド準備銀行が金融政策の緩和を拒否したことで金融市場と実体経済の双方にとって比較的長期的なネガティブな結果をもたらしました。
現在の経済不況を考える上で、当時の背景は参考になります。1970年代連邦準備制度のインフレ政策とオイルショックによる資金需要がレーガノミクスの高金利時代につながり、投信がマネー・マーケット・ファンドで食いつなぐほど株式は割安に放置され続けていました。1980年代はユーロダラーによる政策がスタグフレーションを進行させていました。1985年プラザ合意がなされたことをきっかけにドイツ・マルク、イギリス・ポンド、日本円、スウェーデン・クローネが一気に国際化しました。これらの通貨を機関投資家は一挙に買収する準備を整えました。そしてブラックマンデーの2か月前にFRB議長職がボルカーから国際投信ドレフュスファンドの出身のグリーンスパンへ引き継がれました。1987年10月15日にはイラン・イラク戦争で米軍の護衛を受けていたタンカーがイラン海軍の攻撃を受けミサイルを被弾する事件がありました。米軍は報復としてイランの石油プラットフォーム2基を爆撃し原油市場に不安が沸き起こっていました。原油不安は先進国を含む石油消費国のカントリー・リスクを引き上げユーロ債を貸しこまれた各国経済の財務悪化につけこみオイルマネーはOTD金融によって信用創造された現金が貸しつけられそれが燃料費となっていました。
細部では違いがありますが、似たような印象を受ける人は多いと思います。
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