手話の雑学125 インド宗教史2

そして解脱宗教が登場しました。仏教とジャイナ教は、特定民族の宗教というより、既存の社会秩序への批評運動でした。都市商人層や支配階級外の人々に支持され、民族より社会階層との結びつきが強かったのが特徴です。
中世には外来要素が増えました。イスラム教は、交易・征服・移住を通じて流入しました。ここで起きたのは単純な対立ではなく、改宗した在地民ができ、イスラム文化を受容したヒンドゥー共同体とか、両者の混交(スーフィー信仰など)という複雑な再編です。宗教は民族境界を横断しました。そして統合と再編も起こります。シク教はその象徴で、ヒンドゥーとイスラムの思想を横断しつつ、パンジャーブという地域民族性と強く結びつきました。
結論を一行で言うならこうです。インドでは、民族が宗教を選んだのではなく、宗教が民族の上に何層も「重なった」。だから同じ民族でも宗教が違い、同じ宗教でも文化が違うということです。
インド社会は、宗教と民族という、これまでの二次元的分類では足りません。宗教・民族・言語・地域・階層が、半透明のシートのように重なっているのです。この多層性こそが、インドという文明の耐久力であり、ややこしさであり、魅力でもあります。
インドはイギリスの支配下にあった時代もありました。イギリス支配とキリスト教は「同伴者」だが「完全な同一体」ではありません。布教は進んだが、インド全体を塗り替えることはできなかったのです。理由は、宗教よりも先に統治と経済が前に出たからです。言語は英語の影響を受け、インド英語が出来上がりましたが、それは政治的・経済的理由からです。18〜19世紀、イギリス東インド会社が商業支配を進め、のちに英領インドが成立します。この段階で重要なのは、会社も王冠も原則として「宗教不干渉」を掲げたことです。大規模改宗は反乱の火種になるので、統治者としては合理的判断です。宣教師は国家とは別枠で動きました。学校・病院・印刷所をつくり、英語教育、近代科学、近代的「個人」概念を持ち込みます。キリスト教は、信仰というより近代文化のパッケージとして広がった側面が大きかったのです。この点は明治時代の日本に似てなくもないですね。では改宗が進んだのはどこかというと、主に社会的周縁部階層、いわゆる「不可触民」とか「部族社会」などで、教育・医療へのアクセスが乏しかった地域でした。これは「信仰が勝った」というより、社会的選択肢としての改宗です。有名なマザーテレサなどの活躍が良く知られています。一方、ヒンドゥー教・イスラム教の中核層は、体系の強靭さゆえに大規模改宗を免れました。そして反動も起きます。キリスト教的価値観への接触は、宗教改革運動を刺激します。ヒンドゥー教では慣習批判や一神的倫理の再解釈が進み、「近代に耐えるヒンドゥー教」が再編されました。つまりキリスト教は、敵としてではなく、鏡として作用したということになります。あまり排他的でないのも特徴です。
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