成人の日



今年は1月10日が成人の日です。日なのですから固定しておくのが本来だと思います。従来は1月15日が成人の日でしたが、連休を作るために移動させるようになりました。その連休のため、オミクロン株蔓延の対策をしなければならなくなっているのは滑稽な話です。しかし笑ってもいられません。動かしていいなら、いっそ3月にするか今年はなしにしたらどうなのでしょうか。実際、成人式を中止している自治体もあるのです。旅行業界もキャンセルに困っています。休日を中止して困るのは誰でしょう。医療関係者はもうずっと休日なしで働いています。役人も対策で休日出勤している人も多いでしょう。実に不合理だと思いますが、誰も言い出しませんね。

成人の日はこの歳に20歳になる人が大人になることを祝う日です。しかし実際には、選挙権を始め大人としての権利は誕生日を起点に獲得します。その選挙権は18歳からで、酒たばこギャンブルは20歳とチグハグです。被選挙権は衆議院25歳、参議院30歳のままで、これも不合理です。民主主義の本位からすれば選挙権と被選挙権は一致しているのが合理的です。被選挙権年齢だけ高いことの合理的説明はありません。思考力を要因とするなら高齢者に上限がないのも不合理です。「高齢でもしっかりした人がいる」のが理由なら「低年齢でもしっかり人」大勢います。外国人に広げる前にまずこちらを議論すべきではないでしょうか。18歳に下げる時も根拠がはっきりしないまま、人口減少だとか、年金負担者を増やすためとか、不合理な理由で決められてしまいました。

そもそも20歳に決まったのは明治29年です。当時は財産や性別で権利が制限されていました。富国強兵政策の一部であったことは明白な事実です。それ以前は元服といい、儀式がきちんとあって、服装も変わりました。何となく武士の元服ばかりが知られていますが、時代劇のせいかもしれません。女子も髷が変わり鉄漿(おはぐろ、かね)を塗りました。武家の男子は髷を変え、烏帽子を被るようになります。この儀式の後見人がいわゆる烏帽子親で西洋のゴッドファーザーと同じく名付け親になったりして一生面倒を見ることになります。元服の元は首のこと、服は着るという意味なので、本義は「冠を付ける」ということで加冠ともいうそうです。

元服は年齢も大まかで、男子は親が決めます。女子は結婚がその時期であるのが普通でした。服装が変わり後見人もついて、社会的扱いも変わり、責任をもつ成人となったわけです。自覚が重要だったわけです。成人であるかどうかは物理的な年齢で決めるのではなく、自覚をもたせ責任をもつ代わりに権利を与えるという意味をほぼ失った現在、成人の日まで政治の都合で移動するようになったのは残念でなりません。正装することは悪くないのですが、酒飲んで暴れるのでは却って害があるように思います。

成人式

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