「スペイン人が切り開いた北米大陸」 第1回 北米大陸に挑んだスペイン人探検家たち ― 黄金郷を求めた100年

今回から、アメリカ建国に至る前のヨーロッパ人による「開拓」の歴史を紹介していきます。まず最初はスペインです。
1492年にコロンブスが新大陸へ到達すると、スペインは未知の世界への探検を次々と進めました。当初の関心はカリブ海や中南米に向けられていましたが、16世紀になると、その舞台は現在のアメリカ合衆国を含む北米大陸へと広がっていきます。探検家たちを突き動かしたのは、「神(God)、黄金(Gold)、栄光(Glory)」という三つの目的でした。キリスト教の布教、莫大な財宝の獲得、そして国王への忠誠と名誉です。
その転機となったのが、1519年に始まったエルナン・コルテスによるアステカ帝国征服です。1521年、首都テノチティトランを陥落させたことで、スペインは現在のメキシコを「ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)」として支配下に置きました。この成功は、「さらに北にも黄金の帝国がある」という期待をヨーロッパ中に広め、北米探検の大きな原動力となりました。
最初に北米大陸南東部へ本格的な探検を行った人物の一人が、パンフィロ・デ・ナルバエスでした。1528年、約400人を率いて現在のフロリダに上陸しましたが、飢餓や病気、先住民との衝突によって遠征は壊滅します。生き残ったわずか4人は、8年もの歳月をかけて徒歩でメキシコへたどり着きました。その一人、アルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカは、旅の途中で先住民社会に溶け込み、彼らの文化や生活を詳細に記録しました。その体験談は「北方には石造りの豊かな都市が存在する」という噂を広めるきっかけとなりました。
その噂を確かめるため、1540年にフランシスコ・バスケス・デ・コロナドが大遠征を開始します。300人を超えるスペイン兵と1,000人以上の先住民協力者を伴い、現在のアリゾナ州、ニューメキシコ州、テキサス州、オクラホマ州、さらにはカンザス州まで進みました。目的は「シボラの七つの黄金都市」と「キビラ王国」の発見でした。しかし、実際に存在したのは高度な文化を持つプエブロ族の集落であり、期待した黄金都市ではありませんでした。遠征は経済的には失敗でしたが、アメリカ南西部の地理や先住民社会についてヨーロッパにもたらした知識は極めて大きなものでした。
同じ頃、エルナンド・デ・ソトは1539年にフロリダへ上陸し、アメリカ南東部を探検しました。現在のジョージア州、アラバマ州、ミシシッピ州などを巡り、1541年にはヨーロッパ人として初めてミシシッピ川を記録したことで知られています。しかし、彼の遠征もまた黄金を発見できず、多くの先住民との戦闘を繰り返した末、デ・ソト自身は1542年に病没し、遺体はミシシッピ川に葬られたと伝えられています。
スペイン人の探検は、単なる地理的発見にとどまりませんでした。馬、牛、小麦、鉄器、キリスト教などが北米にもたらされる一方、天然痘などの感染症は先住民社会に甚大な被害を与えました。また、スペイン語や建築様式、法律、農業技術などは現在のアメリカ南西部にも色濃く残っています。サンタフェやサンアントニオ、ロサンゼルス、サンディエゴなど、多くの都市名がスペイン語であることも、その歴史を物語っています。
17世紀以降になると、スペインの探検は「黄金探し」から植民地経営や伝道活動へと重点を移していきました。しかし、16世紀に行われたこれらの遠征は、ヨーロッパ人による北米大陸の理解を大きく広げるとともに、先住民社会との出会いと衝突を通じて、その後の北米史の方向を決定づけました。スペイン人探検家たちの足跡は、栄光と冒険だけでなく、文化交流と対立、そして新たな世界の形成という複雑な歴史を今に伝えているのです。
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