日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第2回 信長が天下統一を目指した頃、北米では植民地建設が始まった ― 安土城とジェームズタウン、同じ時代に生まれた二つの新世界 ―

十三夜の月のイラスト

前回は、1543年に日本へ鉄砲が伝わった頃、北米ではヨーロッパ人による探検が始まっていたことを紹介しました。

それから約60年。日本では織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が登場し、戦国時代から天下統一、そして江戸幕府成立へと歴史が大きく動いていました。

一方、北米では、まだ「アメリカ合衆国」という国は存在していません。しかし、この頃から後のアメリカにつながる本格的な植民地建設が始まります。

1607年、イギリス人はジェームズタウンを建設しました。1608年には、フランス人サミュエル・ド・シャンプランがケベックを建設します。

そして日本では、1603年に徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開いていました。

1603年――江戸幕府

1607年――ジェームズタウン

1608年――ケベック

という出来事が、わずか5年間のうちに起きていたのです。

これは、日本史と北米史を同時に見ると非常に興味深い時代です。

・1570年代、日本では信長が天下を目指していた

時代を少し戻しましょう。

1570年代、日本では織田信長が勢力を急速に拡大していました。

1573年、信長は室町幕府15代将軍・足利義昭を京都から追放します。

これによって約240年間続いた室町幕府は事実上終わりを迎えました。信長はそれまでの戦国大名とは異なる発想を持っていました。商業を重視し、楽市楽座を進め、城下町を発展させ、鉄砲を大量に導入します。そして1576年には、琵琶湖畔に巨大な安土城を築きました。安土城は単なる軍事施設ではありません。五層七階の壮大な天主を持ち、内部には豪華な障壁画が描かれていました。信長はこの城を、自らの権力を象徴する「新しい時代の城」として築いたのです。

しかし、その頃の北米にはまだヨーロッパ人による恒久的な植民都市はありませんでした。

1580年代、北米では「失われた植民地」が生まれていました。

信長が安土城を築いた頃、イギリスではエリザベス1世が国を統治していました。

イギリスはスペインとの対立を深め、海洋進出を強めていきます。

1584年、探検家ウォルター・ローリーは北米東岸に植民地を建設する計画を立てます。

現在のノースカロライナ州沖にあるロアノーク島です。

1587年には約100人の入植者が送り込まれました。

その中には、後に有名になるヴァージニア・デアもいました。彼女は1587年8月18日に生まれたとされ、北米で生まれた最初のイギリス人入植者の子どもとして知られています。ところが、植民地は食料不足などに苦しみ、総督ジョン・ホワイトがイギリスへ救援を求めて戻ります。しかし、スペインとの戦争などのため帰還は遅れました。

1590年、ホワイトが再びロアノーク島へ到着すると、そこには住民の姿がありませんでした。残されていたのは木に刻まれた「CROATOAN」という文字でした。住民たちがどこへ行ったのかは、現在も完全には解明されていません。このためロアノーク植民地は「失われた植民地(Lost Colony)」として、北米史最大の謎の一つになっています。

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