パレスチナ問題
パレスチナ問題は日本ではすっかり忘れさられていて、時々イスラエルで爆発があってニュースに出る程度です。しかしこの問題は民族と宗教が絡んでいて未だに紛争が続いています。1947年(昭和22年)11月29日、国連総会でパレスチナ分割に関する決議が採択されました。イスラエルとパレスチナの二国間共存ということになりました。同一地域内の二国間併存問題というのは世界のあちこちで今でも紛争中です。国連での討議ではアメリカとソ連がアラブ人とユダヤ人の分割統治を推し、パレスチナ地域をアラブ人地域、ユダヤ人地域、国連統治地域(エルサレム周辺)に三分割するものでした。翌1948年5月にイスラエルは独立宣言を行い国となりましたが、いち早くアメリカが承認した一方で、アラブ諸国は承認せず第1次中東戦争になりました。
紛争のそもそもの背景は第一次世界大戦以降、パレスチナにおいては、パレスチナ人と入植してきたユダヤ人との間で嘆きの壁事件などの衝突が発生していました。第二次世界大戦中ユダヤ人はイギリスにドイツ攻撃のため協力していたものの、大戦終結後にパレスチナにおけるユダヤ人国家建設に前向きでないイギリスに対し、武力闘争を開始しました。紛争解決できなくなったイギリスが国連に持ち込んだわけです。
さらにその以前はオスマン帝国支配下でアラブが独立を目指して戦った戦争があり、有名な「アラビアのロレンス」の活躍もあって、イギリスの支援を受けたアラブの勝利となりました。このアラブ反乱に対して「イギリスの三枚舌外交」と呼ばれるフサイン=マクマホン協定、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言を締結した事が、後にパレスチナ問題やクルド人問題などの原因となり今日も紛争が続いています。
国連決議にも関わらず長くパレスチナという国は存在できず、パレスチナの人々は民族自決の権利を求め続けて闘争を続けました。1977年(昭和52年)の国連総会は11月29日を国際デーInternational Day of Solidarity with the Palestinian Peopleとして制定しました。1988年パレスチナは独立宣言を行い、2012年国連はパレスチナを国家として承認し、領土はヨルダン川西岸地区およびガザ地区、東エルサレムを首都として定めていますが、国連には未加盟であり、2019年7月時点で138の国連加盟国が国家として承認しています。承認していない国連加盟国は55ヵ国で、安保理常任理事国であるアメリカ合衆国、イギリス、フランスの3か国に日本、カナダ、ドイツ、イタリアを加えたG7諸国はすべて承認していません。日本はパレスチナ、台湾、北朝鮮を国家として承認していません。背景にアメリカや中国への外交的思惑があります。遠い国ではありますが石油問題もありアラブ諸国との関係は日本にとって重要です。
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