地久節
3月6日は戦前まで地久節といい皇后陛下の誕生日でした。天長節が天皇誕生日と名称が変わった時に一緒に廃止になったようです。なので最後の地久節は香淳皇后の誕生日でした。なぜ地久節というかというと老子の第7章「天長地久」から採られているからです。
地久節は1931年大日本連合婦人会の設立と共に「母の日」になりました。つまり母を敬うという考えはかなり前から日本には定着していたわけです。
しかし戦後GHQの政策により地久節は廃止され、母の日はアメリカのMothers’Dayと同じになり現在の5月の第2日曜日になりました。これもアメリカ文化が日本に浸透してきた習慣の1つで商業主義がそれに便乗して母にプレゼントをする日のようになってしまいました。
米国の母の日も元は第2日曜日ではなく5月8日で、第2日曜日になったのは戦後です。なぜ5月8日かというとアンナ・ジャービスという母の日の提唱者の母であるアン・ジャービスの誕生日であったからです。最初は個人的な日であったのですね。アンナ・ジャービスは亡き母を偲んで白いカーネーションを捧げたことから、母の日にカーネーションを贈るという習慣ができました。しかし亡くなってから感謝というのもおかしいので、生きているうちに母に感謝をするため赤いカーネーションを贈るということになりました。
そもそもアン・ジャービス(母)という人は南北戦争の時、敵味方を問わず負傷兵を看護したことから「母の仕事の日」として女性が団結することを提唱した人です。大本は母として仕事をする日であったわけです。しかし南北戦争終了後、ハウという女性が夫や子供を戦地に送らないことを「母の日宣言」をしたということがありました。反戦という意味もあったのです。米国では夫や息子を戦地に送りたくない、という反戦運動はけっこう盛んで、日本の反戦文化とは少し内容が違っています。
母に花を贈るという習慣そのものは古代ギリシアでゼウスの妻ヘラに花を捧げる習慣から来ているとされています。ヘラは結婚や出産という母の重要な仕事を守る守護神でした。ヘラはローマ神話ではジュノーとなり英語でJuneと呼ばれます。それでジュノーの月である6月に結婚すると恵まれるという伝説が生まれました。それがジューンブライドです。
このように西洋の母の日にもいろいろ紆余曲折がありますから、無理にアメリカの習慣に合わせなくてもよかったのではないかと思われます。天長節や地久節というと右翼のような言われ方をされますが、明治以降とはいえ、日本の慣習でしたから、現在の皇后陛下の誕生日を祝日としてお祝いしてもいいと思いませんか?男女平等を主張する人々が皇后陛下や皇太后陛下の誕生日をお祝いするという主張をしないのも何か腑に落ちない気がします。
そして母の日は本来、亡き母を偲ぶ、または今の母に感謝する日です。実母でなくて義母でもいいのかもしれませんが、起源としては実母ということになります。たまに家族で母に感謝する日で夫が家事をする日という誤解をしている人もいます。子供が母に感謝して家事をするのは正しいのですが、夫がするというのは筋が違っています。父の日は母の日よりも後で制定されたのですが、妻の日や夫の日はあるのでしょうか。実は妻の日はあるらしいのですが、ある企業の提唱によるものなので普及していません。夫の日は見当たりませんでした。敬老の日、子供の日などはあるので不公平感もあるのですが、それは良い夫婦の日でかまわないということでしょう。
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