万博記念日
3月15日は万国博デーです。1970年3月15日に開幕9月13日まで大阪で開催された万国博覧会、いわゆる万博の記念日です。その跡地が現在記念公園になっていて中心に岡本太郎作の太陽の塔が残っていますから、今でも訪ずれる人がたくさんいます。公園内には国立民族学博物館がありここを訪れる人もたくさんいます。公園でイベントが開かれることも多く、関西の人にはなじみのある場所です。1970年万博(EXPO‘70)はアジア初、かつ日本で最初の国際博覧会であり、当時史上最大の規模を誇りました。主催は財団法人・日本万国博覧会協会で名誉総裁は当時の皇太子殿下(今上陛下)、名誉会長は当時の内閣総理大臣佐藤栄作と国を挙げての行事でした。
「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind)をテーマに掲げ、77ヵ国が参加し、戦後の高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして開催されました。日本においては1964年の東京オリンピック以来の国家プロジェクトで企業・研究者・建築家・芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に協力しました。大阪市など会場周辺市街地では万博開催への整備がなされ、道路や鉄道、地下鉄建設など大規模開発が進められました。
オリンピックの時には五輪音頭が作られましたが、この時も「世界の国からこんにちは」(万博音頭)が作られ、複数歌手の競演となりましたが、五輪音頭と同じく三波春夫の歌が一番受け大ヒットになりました。おかげで「1970年のこんにちは」という歌詞を今でも覚えている人も多いでしょう。もっとも若い人は知らないでしょうから、今の太陽の塔を見ても感慨は薄いかもしれません。
大阪万博の後もつくばの科学博とか花の万博(大阪)、愛知万博などいくつもの万博もありましたが、規模と動員数は当時世界一でした。一番行列ができたのはアポロ12号が持ち帰った月の石でアメリカ館は入場できなかった人も大勢いました。この後、地球に持ち帰ったのはソ連と中国の石がありますが、展示されてはいないので貴重なものでした。現在はアメリカのテキサス州ヒューストンのジョンソン宇宙基地で見られ、石はいくつかに分割されたため、日本の国立科学博物館(東京上野)と北九州市立いのちのたび博物館でも見られるそうです。入場者記録は上海万博(2010)に抜かれてしまいました。
万博はその時点での最新の技術が展示されるのですが、この万博ではサインシステム、動く歩道、モノレール、リニアモーターカー、電気自転車、電気自動車、テレビ電話、携帯電話、缶コーヒー、ファミリーレストラン、ケンタッキーフライドチキンなどが初めて展示されました。そのうちいくつかは現代社会で普及していて日常的になっていますが、一部はまだ開発中のものもあります。技術の進歩はものすごく速いのですが、中にはなかなか進歩しない分野もあることがわかります。
大阪市は現在2025年の万博開催を目指して奮闘努力中です。開催は4月13日から10月13日までだそうです。ただ1970年のようになるのかどうかは不明です。2021年にオリンピックが開催されましたが、コロナ禍もあって1964年の時のような盛り上がりはなかったので、大阪万博もなかなか大変かもしれません。科学技術がそれまでに大発展していることを期待するだけです。
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