楽聖忌
3月26日は楽聖忌です。楽聖とはルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベンのことです。音楽の聖人と呼ばれるくらい超有名な音楽家で誰でも知っています。そのベートーベンが亡くなった日が1827年3月26日なので楽聖忌と呼ばれています。ベートーベンといえば気難しそうな顔が浮かびます。そして難聴であの有名な第九を作る頃には、ほとんど聞こえていなかったといわれています。難聴のはっきりした原因は不明ですが、ワイン好きの彼がワインの飲み過ぎで、当時の安物ワインは甘味料として鉛化合物が使用されており、鉛中毒だったという説があります。また作曲するたびにいろいろ悩むことによるストレスという説もあります。恐らくは両方だったのでしょうね。
ベートーベンは、最初は宮廷音楽家として権力の近くで仕えていたのですが、だんだん権力と距離を置くようになります。当時の音楽家はパトロンである王室や貴族のための音楽を作るのが普通でした。しかし自ら作りたい曲を作る音楽の自由を勝ち取るための革命を志向するようになります。彼の政治思想はフランス革命勃発後のヨーロッパで政府の弾圧が強まる中でもやむことはありませんでした。この政治姿勢が現代でも尊敬されている理由の1つかもしれません。
ベートーベンは戦術の天才・ナポレオンに革命の体現者の姿に自分を重ねていました。それゆえにナポレオンをたたえた交響曲第3番「ボナパルト」を作曲しました。それが「エロイカ〈英雄〉」という曲名になりました。しかしその曲をささげようとしたまさにそのときナポレオンが皇帝に即位するというニュースが届きます。それを聞いたベートーベンは怒りのあまり楽譜の表紙を引き裂き、床に投げつけたと伝えられています。
交響曲第5番「運命」の交響曲第6番「田園」も名前がついている有名な曲です。「田園」はベートーベン自身が表題として命名したそうで、田舎の自然の雰囲気がよく表れていて人気があります。田舎といってもドイツの田舎なので、小川があって、ナイチンゲールやうずらなどの鳥の声が聞こえ、農夫たちの楽しそうな踊りがあるかと思えば、突然の雷雨。そして嵐が収まって元の穏やかな田園風景に戻っていく。ヨーロッパの絵画によくあるような風景が連想されます。
「運命」は自身が命名したわけでなく、最初の印象的なダ・ダ・ダ・ダーンは何を表しているのかをたずねられて「このようにして運命が戸を叩く」と答えたからだとされています。扉を叩く音というのは理解できますが、運命かどうかはどうしてわかるのか不思議な感じがします。実際この曲を聞いてみると、激しいのは第1楽章だけで、第2楽章は穏やかな曲調です。そして第3楽章になって心臓の鼓動のようになって再び不安な感じになり、第4楽章でフィナーレらしい華やかな感じで終わります。とくに誰かの運命というよりもベートーベンが自身の思いを伝えるメッセージを送ろうとしていたことが感じられますね。その意味は受け取る人によって違っているので、多くの人々が惹かれるのだろうと思います。
日本で一番演奏されるのが交響曲第9番です。日本では年末恒例となっていますが、日本だけの現象のようです。欧米ではクリスマスシーズンなのでメサイアの方が一般的です。したがって合唱曲も第九の「歓喜の歌」ではなく「ハレルヤ・コーラス」です。日本で第九が広がった理由は「最後の曲だから」という説もありますが、実際は第1次世界大戦後、平和を願ったドイツのライプチヒで始まり、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が、毎年の大晦日に「第九」を演奏し続けてきたことがきっかけでした。第九は本来は管弦楽の演奏の後に合唱があるのですが、日本では合唱部分だけに人気があり、素人も含めた大合唱が好まれています。
最後に3月26日は日本の与謝野鉄幹、室生犀星の忌日でもあります。ぜひ偲んでください。
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