V-E Day
5月8日はヨーロッパ戦勝記念日で盛大な軍事パレードが行われます。ロシアは一日遅れでしたから、5月9日に戦勝記念日が行われます。VEとはVictory in Eupopeのことで1945年5月8日にドイツが降伏文書の署名したことで第二次世界大戦が終わったと欧米では考えています。日本との戦争はこの時点では集結しておらず、日本がポツダム宣言の受諾を決め国民に知らせたのが8月15日の玉音放送なので、日本ではこの日が終戦と考えています。しかし実際に日本が降伏文書に署名したのは9月2日のため連合国側は、9月2日が「対日戦勝記念日」「VJデー」と呼ばれています。このことを知る日本人は例外的です。そしてアメリカとの最終的平和条約は1951年9月8日に締結されたサンフランシスコ講和条約であり、この発効が翌年4月28日でこの日に日本がようやく独立を認められたということです。1945年9月から1952年4月までの6年半、日本はまだ戦争状態にあった、ということに歴史上はなっています。ドイツの場合、戦争の終結は早くてもその後長い分断の時期がありましたから、1989年の再統一までの長い道のりを考えると、日本はまだ幸運だったのかもしれません。日本が独立する前の1948年に朝鮮半島は大韓民国と朝鮮民主主義共和国に分かれ、現在に至っています。分断の原因は米ソ対立であり、日本が直接関与してませんが、日本を分断統治しようという考え(ヤルタ協定)もあり、1945年2月11日米ルーズベルト、英チャーチル,ソ連スターリンの連合国3首脳の声明が出され1946年2月11日アメリカ国務省が内容を発表した内容によれば英、米、ソ、仏によるドイツの占領と管理と賠償問題及びポーランドとユーゴスラビアの処理,国際連合設立に向けたサンフランシスコ会議の設定などに関して秘密に取決められていました。さらにドイツ降伏後のソ連による対日参戦とその条件 (ソ連への樺太南部の返還や千島列島の引渡しなど) についても秘密協定が作成されました。あくまでも秘密協定なのでその通り実行されたわけではないのですが、この協定内容が日本の北方領土問題の種になっています。このような経過を見ると、戦争というのは突然始まって突然終わるのではなく、徐々に争いの種が膨らんでいき、戦闘が繰り返されていく中で大きな戦争となり、やがて徐々に戦闘が減っていき、最終的な講和によって終結する、というパターンです。その中で大きな戦闘が終わった日を戦勝記念日として戦後に祝うということになりますから、国や地域によってバラバラなのが実情です。
5月8日は皮肉かどうかわかりませんが、世界赤十字デイです。赤十字を創設したアンリ・デュナンの誕生日を記念しています。赤十字というとナイチンゲールを連想する方もおられると思いますが、実際にはナイチンゲールは赤十字社活動には関わっておらず、むしろボランティアによる救護団体の常時組織の設立には真っ向から反対していたのです。「構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない」(マザーテレサ)という思想でした。ナイチンゲールは裕福な家庭に育った多彩な人物で英国では統計学者という評価もあります。今では有名になったレーダーチャート(蜘蛛の巣状のグラフ)の発明者だそうです。彼女の言葉に「犠牲なき献身こそ真の奉仕」というのがありますが、看護とは本来そういうものです。日本は今でも看護や介護に犠牲を強いる傾向がなきにしもあらずですが、犠牲なき献身ということを改めて考えてみる良い機会だと思います。
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