鏡と認識
関東地方では11日が鏡開きで、鏡餅を割ってお汁粉にして食べる習慣です。関西を始め15日の小正月に鏡開きをする地域も多いようです。鏡餅は歳神様がとどまる場所で、片付けることで歳神様は天に帰られるのです。伝統的には床の間や神棚に飾るののが本来ですが、現代の住宅ではどちらもない家が多いので、台所や勉強机の上に飾ります。なぜ鏡餅というかというと、昔は鏡が神事の道具であり、餅の形が鏡に似ていることから来ています。三種の神器の1つが八咫鏡(やたのかがみ)であり、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)です。剣と勾玉は剣璽(けんじ)といい、皇居に保管されており、皇位継承と同時に継承されるしきたりです。八咫鏡は伊勢神宮内宮に保管されていますが、それは天照大神が天孫降臨の際に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に三種の神器を授けたという故事によるもので、伊勢神宮は天照大神を祭神として鏡がその象徴となっています。国宝にも古代の銅鏡が多くありますが、鏡は本来、神聖な物です。光を反射するので太陽にもなぞらえられています。
鑑(かがみ)も同じ発音ですが、こちらは古代中国の青銅器の深鉢で1対の取っ手がついています。この鉢に水を入れて映る自分を見ることから、語源は「かんがみる」ということで、前例や手本を意味しており、そこから「あの人は政治家の鑑」のような用法があります。
鏡も鑑も反射で姿を見ることに変わりはないので、どちらも自分を見て反省するための道具でもあります。しかし現在では姿を写す道具を鏡、自らの手本や模範とするものには鑑と使いわけるのが一般的です。
昔は、鏡が貴重品でしたから、とても大切にしていました。その意味では鏡が割れることは不吉であり、鏡餅を割ったり切ったりすることは禁句で「開く」という表現を使います。今はガラス製の鏡がどこにでもあり、化粧などで見ることが多いため、反省するという心理的な意味はほぼなくなっています。しかし鏡でみる自分は他人からどう見えているか、ということなので、心理的な面も重要視する必要があります。自分で健康チェックもできます。また当たり前のことですが、鏡面対称といい、左右は逆転します。しかし上下、前後は逆転しません。言い換えると、自分が左右と認識していることは正面にいる他人にとっては逆なのです。自分の側にいる他人は同じ認識です。写真や動画に撮った自分は鏡面対称です。こういう認識の差について考えてみるのもおもしろいです。
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