真白き富士の嶺
今はあまり聞かれなくなりましたが、「真白き富士の嶺、緑の江の島…」という歌をごぞんじでしょうか。これは明治43年(1910)のこの日、神奈川県の逗子開成中学の生徒12人が学校のボートで乗り出し、七里ヶ浜で遭難して全員が死亡した事件がありました。この事件は当時の社会的事件となり、昭和10年と昭和29年にこの事件を題材にした映画も制作され、歌も有名になりました。悲報に接した鎌倉女学校の教諭・三角錫子が「七里ヶ浜の哀歌」を作詞し、この歌は全国で愛唱されました。昭和38年に吉永小百合による同名の映画がありますが、これは直接の関係はありません。
この歌は歌謡曲として親しまれましたが、元は明治23年刊行の『明治唱歌』において、『夢の外(ゆめのほか)』(大和田建樹作詞)として採用されたものだそうです。三角錫子はこの唱歌の替え歌として『七里ヶ浜の哀歌』を作詞したそうです。『夢の外』の2番、『七里ヶ浜の哀歌』の4番の歌詞については、共にキリスト教の影響が指摘されています。それもそのはずで作曲はジェレマイア・インガルスという讃美歌作家の作品だからです。この曲は歌謡曲として親しまれた後に、再びキリスト教賛美歌に使用されるに至ります。
明治の頃は西洋音楽の1つとして多くの讃美歌が日本の歌謡に採用されました。たとえば「星の界(ほしのよ)」は「月なきみ空に きらめく光…」として歌われましたが、元は有名な讃美歌「「慈しみ深き友なるイエスは」です。メロディが美しく親しみやすいので、広がるのは当たり前かもしれません。それに宗教曲だから、みだりに歌ってはいけない、ということもありません。
こういう替え歌には歌詞の力が大きく、たとえば「木枯らし途絶えて…」という歌詞の「冬の星座」は堀内敬三作詞で、長く中学校音楽の教科書に載っていました。原曲はアメリカの作曲家ウィリアム・へイスによる1871年の歌曲『Mollie Darling(Molly Darling)』で、モリーという女性に対する「僕の事好きだって言ってくれ」と悶々とする男の狂おしい心境を歌ったラブソングです。「美しき天然」という曲は佐世保海軍第三代軍楽長の田中穂積作曲、武島羽衣作詞の唱歌で日本初のワルツとされる名曲ですが、サーカスのテーマソングに、そしてチンドン屋の定番になってしまいました。
「アルプス一万尺」はYankee Doodleという米国独立戦争の愛唱歌で、ヨドバシカメラのCMソングはリパブリック賛歌で、アメリカ人は違和感を抱くそうです。CMソングは今も替え歌が多く使われるのは、親しみやすいメロディだからでしょう。
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