二項対立と弁証法


対立

物事を考える時、つねに反対側を考えると本質がわかることが多いです。人間はどうしても1つのことに拘ると他の面が見えなくなってしまいがちです。2つの対立する概念を活用して論理展開する技法が弁証法で、現代科学もこの技法によっています。論理学の世界ではこれを二項対立dichotomy、binary oppositionといい、二つの概念が存在していて、それらが互いに矛盾や対立をしているような状態のことを言います。しかし元は一つの概念であったものを二分することにより、それを矛盾や対立をする関係へと持っていくことをことも二項対立と呼んでいます。たとえば光と闇、善と悪、陸と海、子供と大人、男と女、既婚者と独身者、白と黒、運動と静止、明と暗のように、相対立する一対の概念です。まずはこうした分類から始めます。言語学では二項対立が尊重され、それは現代言語学の創始者ソシュールや人類学者のレヴィストロースなどの構造主義の学者によって普及したことにも一因があります。

キリスト教においても神は1つですが、神と悪魔と対立させるなど二項対立による論理がかなり浸透しています。その影響が学問の多くの分野に影響を与えていて、コンピュータの計算が1と0という二進法なのもその例です。さまざまな二項対立関係を考えることで論理が作られていきますが、近代は脱構築という二項対立の矛盾を突き、二項対立では割り切れないものを発見するのが流行りです。私見ですがLGBTQという概念も男女という二項対立から脱構築したといえると思います。脱構築では両義的な言葉や主張と行為の矛盾に着目して階層関係を逆転したり無化します。二項対立では見えてこなかった盲点を発見しながら思考し続けることが脱構築操作なのですが、かなり高度な知的作業を伴います。要するにわかりにくいです。

現実社会においての諸問題も二項対立から発生しているということが多く、多くの紛争の原点がこれです。領土問題はどちらかの所属という二項対立です。無論双方で共同管理という妥協もありうるのですが、結局、また紛争になることが多いのです。政治の世界も与党と野党という二項対立になっていますが、現実にはそれぞれがさらに分裂していて、力関係も複雑です。そうした場合にはキャスティングボートという少数が支配する事態もありえます。会社内の派閥も同じような構造になります。回答にイエスかノーかを求める単純思考の人もいますが、アンケートの回答にあるように「どちらでもない」こともあります。しかしその分、結論が曖昧になります。

二項対立は論理を構成していく上では便利な概念ですが、必ず真理に辿りつけるとは限らないのが弱点です。それでも日本文化は曖昧なことが多く、もう少し対立的に理解する思考方法を身に着けるのがよいと思われます。

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