癸卯弥生朔日
旧暦だと、今年は閏2月があったので、本日が弥生朔日(3月1日)です。そして二十四節気の穀雨と重なります。昔の人はこういう季節感のずれをどう感じていたのでしょうね。蝦夷地以外では桜も終わっていて、清明が終わっても、ようやく弥生というのも何となく「今年は遅いね」くらいの感覚で受け入れていたのでしょうか。
穀雨とは文字通り、穀物に恵みの雨で、種蒔きや田植えの時期となっています。穀雨の終わり頃には八十八夜がやってきます。新暦では連休がこの時期にあり、行楽シーズンになっています。五月晴れという言葉もあって、何となく晴れの日が多いような印象ですが、実は雨もけっこう降ります。
七十二候では
初候:葭始生(あしはじめてしょうず)、水辺の葭が芽吹き始める頃。はイネ科の多年草で夏に大きく伸びます。今は少なくなりましたが、夏の暑さよけの葭簀(よしず)は葭を編んだものです。葭を「あし」または「よし」と読まれるのですが、これは縁起をかついで「悪し」を「良し」と読みかえているからです。吉原も昔は葭が一面に生えていた住宅のない江戸のはずれだったのですが、だからこそ、岡場所が作られたわけです。
次候:霜止出苗(しもやみてなえいずる)霜が降りなくなり、苗代で稲の苗が生長する頃。霜は作物の大敵で、せっかく伸びかけた苗が枯れてしまいます。
末候:牡丹華(ぼたんはなさく)牡丹が豪華な花を咲かせる頃。豪華で艶やかな牡丹は「百花の王」と呼ばれていて、「立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹歩く姿は百合の花」という美人の例えの1つとされています。今ではセクハラ扱いされてしまうのかもしれませんが、昔の文化ですから、ご容赦いただくとして、なぜそういう形容がされるのかは知っておいてもよいと思います。芍薬は、すらりと伸びた茎の先端に美しい花を咲かせます。その香りもたおやかです。たおやか、という形容詞ももう死語なのかもしれません。芍薬は草ですが、牡丹は木で。枝分かれした横向きの枝に花をつけるため、まるで座っているかのように見えるからとされています。観賞するときも座って観賞したほうがきれいに見えます。百合は、しなやかな茎の先にややうつむき加減に花が咲きます。そして、風をうけて揺れる様子は、まるで女性が優美に歩いているように見えるから、とされています。今のように、顔を上げてサッサと歩くモデル歩きのように歩く姿からは想像もできない文化です。時とともに美への感覚も変わっていくのはしかたのないことですが、こうした形容法は女性を縛りつけるものだという現代的解釈も時代を無視した価値観ではないでしょうか。
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