ご都合主義


みどりの日

5月4日は「みどりの日」という新しい祝日です。誰がどうみても、3日と5日が休みなので、真ん中を休みにして連休にしよう、という意図が透けてみえます。祝日や祭日をこういうご都合主義で決めてよいのか疑問ももちます。そもそも休日は国家が決めなくてはならないようなものか、改めて考えてみるのによい日だと思われます。

3日と5日はそれぞれ意義が公知されていて、反対か賛成かについてはいろいろな意見があるでしょうが、意義を知らない人はいないと思います。しかし「みどりの日」というのは以前、天皇誕生日であったのを変更する時にご都合主義的に決められた命名であり、それがまたご都合主義的に移動させられた日です。

国民がその日に休むかどうかは政府が決めなくても休める人は休みますし、休めない人は仕事をします。観光業のように書き入れ時で普段より忙しい人も大勢います。今年のようにコロナ禍の終息が見えてきて、人々の移動が自由になってきた場合は観光地での期待も大きいと思います。GWという日本独特の習慣もあって、経済復興の起爆剤として期待する向きもあります。しかしよく考えてみると、GWは生産を止めて休む期間なので、本当に経済復興になるのか、疑問が残ります。GWに大量の外国人がやってきて、日本国内にお金を落としてくれるなら、日本経済としては儲かるといえますが、国内需要だけだと、同じお金が還流しているだけです。経済学者は消費があれば生産が増え、生産が増えると賃金が上がり、賃金が上がれば消費が増える、という循環論を唱えますが、日本のこの30年は負の循環で、すべてが逆に動いてきました。その原因は何かの結論もないまま、同じことを繰り返しても循環が正方向に動くという保証はありません。そもそも負の循環が発生する理論そのものに欠陥があると考えるのが科学的結論です。

以前、書いたように風が吹けば桶屋が儲かるという論理の飛躍がないか検証が必要です。消費、生産、賃金という転換に論理の飛躍がないかという検証が必要です。

同様な論理的検証が必要なのが、温暖化の原因は二酸化炭素の増加という論理です。二酸化炭素の増加は化石燃料の燃焼が原因で、化石燃料の減少のために自然エネルギー発電、自然エネルギー発電のために山野を切り開く、というのは山野を切り開くことが緑の減少につながり、二酸化炭素の増加につながる、という矛盾が明確になっていても、推し進めようとするのは背後に利権があると思われても仕方がないことです。

こうした論理展開も根底にあるのはご都合主義であり、意義の説明よりも事業の推進が優先されているため、人々は直観的に胡散臭さを感じてしまいます。「角を矯(た)めて牛を殺す」という諺の意味を改めて考えたいところです。

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