憲法とは規則とは
現行憲法についていろいろな議論があるのは当然でしょう。規則というものはどれも賛否両論、得する人と損する人がいます。憲法は変えてはならない、という人は変化を認めない人ということになります。十七条の憲法とか大日本帝国憲法は過去の歴史なので勝手に変更はできないのは当然です。実際に存在していたものを後世の人間が評価するのは自由ですが、中身を変えることは誤りです。
しかし現行の規則は現状が変化することにより、変えていくことは必要になります。絶対変えてならないとされる聖書や他の宗教書でも、文言の変更はなくても解釈や翻訳は変わるのが普通です。その解釈が教義であり、解釈者が宗祖となって、信奉者が集まって宗派が成立していきます。大本は1つでも歴史が長くなれば、解釈もそれだけ増え、宗派も増えていき、宗派の栄枯盛衰があるのも自然なことです。
憲法は教義ではないので、実際に運用する段階で、解釈があり、判断があります。宗教であれば律法博士や僧侶、神父、牧師、神主などいろいろな名称で呼ばれる職業の人が解釈と判断を示します。法律の場合は裁判という議論を通じて、裁判官が判断を示しますが、原告と被告という当事者では法解釈が不十分なので、代理人が議論することになります。当然、立場が違えば解釈も違うのが当然です。
解釈者が元の規則を変更することは矛盾が生じやすくなります。昔は規則も王様や殿様が決めたので、判断まで王様や殿様が決めると不合理になります。日本では古くから法律書があり、殿様もそれに従うことが求められてきました。殿様という個人ではなく政府という社会制度が法律を保証してきたわけです。それで法治国家というわけです。ところが個人の行動に不合理な面や矛盾があるように、法律にも不合理な面や矛盾する体系が含まれているのが普通です。とくに長い間、変更せずにいると、解釈が先行し、それが前例となって規則のような拘束力をもつようになります。前例はそれなりに合理性をもつこともありますが、規則になかった事案に対する解釈と判断なので、規則と同様の拘束力をもつと矛盾が生じやすくなります。規則を設定した段階で想定しなかった事案が時代とともに多く発生するのは、進歩であっても退歩であっても生じます。その都度、現状に合うように規則を変える必要がでてくるのですが、その改正議論の過程で、従来の規則で得していた人は反対し、損していた人は賛成します。損得だけで議論するのは正しくない、という理想論もありますが、生死も含めて、自分との関りの利害が損得であり、金銭的な意味だけではありません。むしろ損得を金銭問題に置き換えることが正しくない、と考えるべきでしょう。憲法だけでなく法案審議の議論を冷静に観察すると実態が見えてくると思います。
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