相対と絶対
天動説と地動説のコラムで説明したように、視点が変わると考え方も変わります。視点を変えることが相対の基本です。たとえば電車や自動車の移動中の車窓の景色を考えてみましょう。近くにある景色はすごく速く移動していきますが、遠くの景色はゆっくりと移動していきます。これは見ている人の視点が自分にあるからで、実際に移動しているのは自分の方で、景色である物体は移動していません。これは上からカメラで録画すれば、はっきりと実感できます。ただしこの場合でもカメラはビルの屋上など固定的な位置であることが条件で、ヘリコプターやドローンからの撮影では正確な移動はわかりません。カメラの位置を静止している場所に固定することが絶対的視点であり、移動する物体にカメラを固定するとそれは相対的視点となります。
自動車についているナビは自分の位置を知らせてくれますが、画面では地図の方が動きます。実際には静止衛星の視点から見て自動車の位置変化から移動を測定しています。実地も動いていないのですから、絶対的視点を相対的な移動に変換しているといえます。実際には、静止衛星は完全に静止しているのではなく、地球の自転速度と同じになるように調整しています。動く物体の速度が完全に一致していれば、片方の物体の上から見ていると、相手は動いていないように見えます。これを利用して、空中給油などの技術があります。大掛かりなものとしては、宇宙空間における人工衛星のドッキングのような例です。実際には高速で移動している物体同士が速度を調整することで、相対的に停止しているような状態を作りだすわけです。
地上において、何かをくっつけたり、受け渡しする場合でも、原理はまったく同じで、絶対的視点から見ると、双方が自転速度で移動しているのですが、地上に固定されているので、止まっているのと同じに感じられるだけです。こういう説明をすると、「もし固定から離れる、つまり飛び上がって空中にいれば、自転により移動できる」と思う人がいますが、それは速度には慣性があり、固定から離れても急に静止するわけではないので、移動はできません。仮に地球から大きく離れ、重力の影響を受けないような宇宙空間で静止すれば、地球から見ると移動したようになります。これが絶対的視点ということなのですが、現実にどの天体からの力の影響を受けない絶対的な位置というのはかなり難しいのです。すべての物体が力をもち、移動しているのです。それが自然界です。
ところが人間の認識は自分を絶対視することから始まります。完全な自己中心で、自己が絶対なのです。自分の目で見て得た感覚が絶対的であり、他人の目の認識という相対的な視点にはなかなか立てません。自分の内心は他人にはわかるはずがなく、他人の内心は自分にはわかりません。行動やコミュニケーションなどの現象から推測しているのにすぎません。問題は正しい、間違っている、善悪などの判断基準が自分にあることです。そこで自己を客観視つまり相対化するとか、相手の身になって考えるなどの、視点の変更をすることが近似的な理解につながります。
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