国連憲章



6月26日は国際連合憲章の日です。
国連広報センターのサイトによると「1945年4月~6月の2ヶ月間、「国際機関に関する連合国会議(United Nations Conference on International Organization)」がサンフランシスコで開催されました。そして、会議最終日の6月26日、「戦争の惨害」を終わらせるという、強い公約とともに国連憲章(the Charter of the United Nations)が、50カ国の代表によって署名されました。」
とあります。直後に追加があって現在は51カ国で始まったとされています。
最近は国連の限界のようなことが議論されますが、この機会に興味のある個所だけでも読んで確認してみるのがよいと思います。ネットには日本語訳も公開されています。
1945年に制定され、1973年9月までに3回の改正を経ているが、以降は改正されていないとのことです。50年近く改正されていないのはある意味日本国憲法に似ているかもしれません。前文に続き全部で19章から成っています。いわゆる敵国条項について、正確に知っている人はマスコミでも少ないようです。漠然と日本が入っている、という認識ですが、実際は曖昧なままです。本来は長い説明が要るのですが、簡略化すると第53条の2「本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。」という個所にあるだけで具体的な国名は書かれていません。Wikipediaの解説だと「日本政府の見解では、第二次世界大戦中に憲章のいずれかの署名国の敵国であった国とされており、日本、ドイツ、イタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドがこれに該当すると例示している。タイ王国は連合国と交戦した国であるが、この対象に含まれていない。オーストリアについては、当時ドイツに併合されていたため、旧敵国には含まれないという見方が一般的である。」とあります。日独伊はわかりますが、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドが入っているのは意外ではありませんか。
「1995年の第50回国連総会(当時加盟国185カ国)で「時代遅れ」と明記され、憲章特別委員会で旧敵国条項の改正・削除が賛成155 反対0 棄権3で採択され、同条項の削除が正式に約束された。また、国連総会特別首脳会合で2005年9月16日採択された「成果文書」においても旧敵国条項について「『敵国』への言及の削除を決意する」と明記された。(しかし)常任理事国である中露の反対が想定されるために国連憲章改正自体は出来ていないが、上記の決議において国連憲章改正に必要な条件の一つである「3分の2以上の賛成」は示されている経緯などを踏まえて、一般的に「死文化している」「現在においては、いかなる国も旧敵国条項を援用する余地はもはやない」とされている。」(同)が現状です。政府答弁のような長い説明をまとめると「実質的に死文化」であるのですが、相変わらず中露がネックになっています。
戦争のたびに安保理の拒否権が問題になりますが、この不平等規定が改正できないところに国連の限界が象徴されています。そもそも常任理事国5カ国のうち1971年10にそれまで中華民国(台湾)が持っていた代表権が中華人民共和国に与えられ安全保障理事会常任理事国に移動が発生したこと。1991年にソビエトの解体に伴って同国が持っていた国際連合代表権がロシアへと引き継がれたことがおかしいと思うのが自然です。この時が改正のチャンスだったのにしなかったのは米英仏の都合でしかありません。とくに拒否権のあった米の責任は大きいと思われます。

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