サラダ記念日
「「この味がいいね」と君が言ったから、7月6日はサラダ記念日」(『サラダ記念日』は、俵万智の第一歌集。河出書房新社、1987年5月8日初版発行)。この短歌はいろいろな意味で、いろいろな方面に衝撃を与えました。
本コラムのように「今日は何の日」をネタにしている身にとっても、「記念日とは何か」を考える機会になりました。記念日には「憲法記念日」「建国記念日」のように法律で国民の休日で定められたものから、民間の認証団体が登録した記念日や、個人的な祝い事である結婚記念日など、さまざまなレベルの記念日があります。記念日の他に「〇〇の日」という特別な日があります。国民の休日でも「体育の日」とか「文化の日」など、行事との関りがあり意義がある程度推測できる場合もあり、「みどりの日」や「海の日」「山の日」など、なぜなのか一般の理解がほとんどできていない日もあります。これらは「国民の祝日」として内閣府が公布しています。「「国民の祝日」は、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)により、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために定められた「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」です。」(https://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html)説明が抽象的過ぎてよく意味がわからないのももっともです。しかもこの祝日は観光などの目的で日にちがずらされることが頻繁になってきました。もはや法文がいう風習など無視した単なる休日扱いにしているのは外ならぬ政府自身です。
民間団体認証の記念日は主として企業などが広告目的で設定しているものが多く見られます。その発端は平賀源内の「土用丑の日」の鰻文化かもしれません。中にはクリスマスやバレンタインデーのように本来の意義は抜きにした、欧米の習慣を真似して菓子を売る商法となった日も増えてきました。結婚記念日なども物を贈ることが当たり前のような風習になってきました。日本の記念日は総じて商業利用が激しく、本来の意義はそっちのけになっている傾向があります。欧米で生活すると、日本のように記念日が多いとは感じません。カトリックではほぼ毎日聖人の日があり、それに応じたミサなどもありますが、商業利用は少ない印象です。日本も神仏の縁日が毎月あり、それなりの商業利用も昔はありましたが、今はほぼなくなりつつあります。法律にいう「美しい風習を育てつつ」という趣旨からは反対の方向に動いています。その元凶が内閣府自身であるという自覚は当局にはなさそうです。風習に付随して商業があったものが、主客が転倒し、商業のための風習利用となったのは、国民の意識がそうなったといえますが、背景には政府の宗教政策がまったくないことがあります。政教分離という名の元に宗教に冷淡になり、無宗教を自認する人が大多数になりました。欧米では無宗教者とは共産主義者の代名詞なのですが、日本ではそうではないようです。記念日もサラダ記念日ように個人的なメモリーで決めるのが、むしろ正しいのかもしれません。
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