日本三景


天橋立

江戸時代前期の1643年(寛永20年)、儒学者・林春斎(1618~1680)が著書『日本国事跡考』において、「松島(宮城県)」「天橋立(京都府)」「宮島(広島県)」を卓越した三つの景観とし、これが「日本三景」となった、という解説がなされています。

7月21日が記念日となったのは林春斎の誕生日ということなので、旧暦を新暦に読み替えての記念日ということになります。3か所とも海に面しているという共通点があり、景色において海の役割が重要ということです。また松などの木々の緑も重要ということなので、夏を前提としていることもわかります。林春斎は江戸時代前期の儒者林羅山の三男である林 鵞峰の雅号です。春斎の他に向陽軒というのもあるそうです。日本史の編纂に貢献し、父羅山とともに『日本王代一覧』、『本朝通鑑』(『本朝編年録』)、『寛永諸家系図伝』など、幕府の初期における編纂事業を主導し、近世の歴史学に大きな影響を与えました。鵞峰が整えた林家学塾の組織は、その後の昌平坂学問所の基礎となりました。寛永20年(1643年)の著書『日本国事跡考』のなかで「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)と記し、これが日本三景の由来となったとされています。松島に感動していたのですね。

1915年(大正4年)、日本三景にならって実業之日本社主催による日本新三景の選定が行われ、全国投票の結果、1916年(大正5年)に大沼(北海道)、三保の松原(静岡)、耶馬渓(大分)の3つが選ばれたそうですが、日本三景に比べると有名度は低いようです。

日本では三大〇〇というのが好みのようで、世界三美人とか、三大都市とか3つ選ぶのがよくあります。これは三種の神器、徳川御三家とか、御三卿とも関係があるのかもしれません。なぜ三なのかは諸説あるようですが「人間は3つのものを並べると、そこにある種の安定性やまとまり感を抱く傾向がある」という説もあるようです。どうも日本だけでなく世界傾向のようです。

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