未来計画
遡及の反対語ははっきりしません。英語でもretroactiveの反意語はいろいろでてきます。これは非常に意味深いことで、考えてみれば、遡及というのは、過去のある時点まで遡って、何かを実行することです。しかし、将来のある時点まで行って、何かをするということは想像上でしかできないことです。そこで遡及の反対語は、未来計画とか、先行とか、行く末、といった語が辞書に挙げられています。
こういう時空を前提とした表現はよく意味を考える必要があります。私たちは何となく、現在、過去、未来ということを一連の現象としてとらえますが、これは文法上の時制のことで、現実の世界では、今、目の前で起きていることが現在であり、過ぎ去った過去は記憶にはあっても、遡及して何かをすることはできません。そして未来は想像することはできても、はっきりしておらず、何が起こるのかは実際にその時点になってみないとわかりません。言い換えると、過去と未来は対比的に考えることはできても、実態はまったく異なるのです。自分の体験も過去は思い出として、浮かべることはできますが、未来の体験は希望でしかありません。もっとわかりやすいのが自分の誕生日はわかっても、自分の命日はわかりません。命日で人生が終わるのですから、自分の命日は自分では認識できないわけです。命日は他人が自分の死んだことを記憶している日ということになります。
このように時間(時空)というのは、現実に存在するというと必ずしも存在するとはいえません。時の流れを意識はしますが、実感することはなかなか難しく、普段は暦とか仕事のスケジュールのような他人との関りにおいて認識しつつ行動しています。そのため、忙しくしている時の時間と、のんびりしている時の時の流れは違うような感覚をもちます。「ゆったりと時間が流れる」環境は癒しの空間となりますが、これは実時間経過は絶対的であっても、認識上の時間は相対的であるといえます。物理学(形而下)の世界では、時間は一定であり、それを元に諸法則が成立しています。しかし心理の世界(形而上)では時間は相対的に変動する存在です。この違いが人間の認識ということで、古代の哲学や思想の世界、宗教の世界では、認識を重視した論理を構成していきます。しかし、いわゆる自然科学の発達は、これらの認識の世界のアンチテーゼとして、人間の認識よりは物の構造や法則を明らかにすることで発展してきました。その発展の結果、現代社会では「(自然)科学的であることが正しい」という価値観が絶対視されています。そして非科学的との評価(ラベル)を付けられると社会的に排除されることになります。しかし、自然科学の発達の結果の1つである情報科学が発達し、情報科学は認知科学の一形態として、人間の認識の世界に踏み込んできました。人間の認識や感情なども構造化できると考えているようです。ただ、時間の観念は物理学の世界と同じ扱いであり、人間の概念とは異なったままです。
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