ビキニと水爆
7月5日はビキニの日です。ビキニといえば女性の水着をまず連想すると思いますが、そのビキニ水着をフランスのルイ・レアールが初めて発表したのが、1946年のこの日でした。なぜビキニかというと、その4日前の7月1日にアメリカがビキニ環礁で水素爆弾(水爆)の実験を行ったことにちなんだもので、水爆が与えた衝撃と同じくらいすごい衝撃を与えたことに由来するとされています。今では見なれた水着で、もっと露出が過激なものもありますが、当時は衝撃を与えたのだそうです。ミニスカートが出た時も世界で大騒ぎになりましたが、昔は女性が肌を露出することが禁忌でそれを破ることは大事件だったわけです。逆にイスラム教徒の女性が肌を見せない装束をしていることが封建的であり、非民主化とまで言われる時代になってしまいました。
1960年「ビキニスタイルのお嬢さん」という歌が流行り、日本でも何人かが日本語でカバーしています。初めてビキニ水着を来たお嬢さんが恥ずかしくて、ロッカールームからタオルを巻いて海岸に行き、海岸でタオルを外して海に入ったものの、今度は海から出られなくなって、だんだん顔が青ざめていく、というストーリですが、今では考えられない状況ですね。ビキニはbikiniと書くので、biには2という意味があるところから、今でいうトップレスをmonokiniと命名したこともありました。ちなみにtopは上半身を意味し、今のタンクトップというのは、水着tank suitの上だけという意味です。ランニングシャツというのは走る時のシャツなので、袖なしのシャツが最初は陸上競技から、そして水泳競技へと変わったということになります。タンクというのは水槽などの槽のことで、兵器としてのタンクは、元は英軍の隠語でした。
水爆という語はもう死語になったようで、水爆といってピンと来る人は少ないのではないでしょうか。恐らく水素を爆発させる爆弾と思うでしょう。原爆反対の団体は原水協というのですが、原水禁というのもありました。原水禁は社会党系であったため社会党の衰退と共に消滅、共産党系の原水協が今でも活動しています。分裂の原因は政治的立場の違いにあり1965年に日本共産党派が当時友好関係にあったソビエト連邦と中華人民共和国による核兵器保有を擁護する立場をとったことから、日本社会党系がそれに反発して離脱・脱退して別団体の原水爆禁止日本国民会議(原水禁)を創設した(wikipediaより)ということです。原水禁は原子力撤廃(脱原発)を主張したのに対し、原水協は原子力平和利用という立場だったのが、福島第一原発事故以降、脱原発になり自然エネルギーへの転換という方針になり現在も続いています。
ビキニ環礁における米軍の水爆の基本原理は、原子爆弾による超高熱により重水素あるいは三重水素(トリチウム)の核融合を起こさせることです。重水素爆弾と呼ぶのが正しかったのですが、水爆になってしまいました。水爆は原爆の800倍の威力とされ、史上最大の水爆実験はソ連が行った1961年のツァーリボンバで広島型原爆の3,300倍とされています。水爆は放射性物質が拡散するため、起爆に原爆を使わない水爆開発も研究されてきましたが完成には至っていないようです。原爆がウランの核分裂によるエネルギーであるのに対し、水爆は重水素の核融合のエネルギーです。どちらも原子力といえばそうなのですが、原理が全く異なるので感情的な反撥なしにきちんと理解しておきたいです。核融合は太陽や超新星など宇宙でも起きている現象であり、まだ利用には至っていませんが、有望な分野として研究が続けられています。
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