日本語の音韻と英語の音韻の対応 2



日本英語を世界に認めさせるという思想は言語ナショナリズムではありますが、アメリカ本位のグローバル・スタンダードに従わねばならぬ、という必要もないかもしれません。実際、世界の国々では英語教育をしていますが、「通用すればよい」という実利主義で、アメリカ英語のまま、と考えている国は少ないです。というより自然にその国の母語と英語が交じり合っていきます。その国なりのピジン(混淆語)が自然に出来上がっていくわけです。そもそもアメリカ英語といっても1種類ではなく、いろいろな人種や民族が住んでいて、それぞれ訛がありますから、日本がアメリカ英語と思っているのは「抽象的」なものです。いわゆるアナウンサーなどが使う「共通語」が「標準語」になっています。日本に英語教師としてやってくる、いわゆるネイティブの英語教師のほとんどは標準英語ができません。なぜならそういう訓練を受けていない「普通の人」だからです。たとえば日本人が外国で日本語を教えるとしたら、「正しい日本語」を教えることができるでしょうか。読み書きはある程度、できるとしても、発音に関してはまず無理なのではないでしょうか。どうしても自分の訛がでます。この「訛」というのが話し言葉の実体です。共通語や標準語というのは書き言葉の世界であって、話し言葉は千差万別、個人差が大きいのです。

日本語の音韻と英語の音韻の違いを説明しましたが、これも「抽象的」な議論であって、実際の話者の発音のことではありません。話者の発音には個人差があり、だからこそ、個人の話しが誰の話し方なのか特定できるわけです。つまり音韻というのは脳の中で処理された抽象的な音であり、それを記号化したものが文字や記号ということです。表現を変えると、書き言葉では文字を通じて音韻を連想し、話し言葉では音を通じて音韻を連想している、というように単純化できます。日本の英語教育の問題点は書き言葉中心のため、英文字を読んでも英語の音韻が連想できず、日本英語の音韻を連想してしまうことにあります。その日本英語の音韻が日本語の音韻と同じということです。この音韻対応の違いをそのままにして押し切るか、苦労してでも英語の音韻を習得するか、悩ましい問題です。日本英語の世界通用度がまだ低いからです。英語を国民全員に強制するか、選択性にするか、というのも難しい問題です。

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