日本英語の問題点はカタカナ表記
日本語の音韻は普段、意識しませんし、五十音を見ているかぎり、規則的な配列に思えてきます。しかし英文字で表記してみると、意外に不規則であることがわかりました。日本英語の音韻は日本語の音韻を若干変化させただけのもので、カタカナで書いて、日本語の音韻で発音しています。英語の文字を読みつつ、わざわざカタカナの音に変換して読んでいるわけです。最初から英語を英語の音韻として習得すれば、こんな必要はないのですが、音韻の習得は子供の頃に決まってしまうので、成人してからはなかなか難しいのが実情です。幼児英語教育が盛んなのはそこに原因があります。問題は英語の音韻を子供の頃に習得しても、語彙や文法の習得には生活や経験が必要であり、成人の生活で用いる話し言葉は子供には理解できません。言語習得には段階があり、時間がかかるのです。幼児の頃に習得した英語の音韻を維持しつつ、日本語の音韻も維持するのは相当負担がありますが、この能力を成人になるまで維持することはさらに大変です。この時期と時間ジレンマをどう解決していくか、というのが語学の最大の課題です。つまり「ネイティブ並みになる」という夢はかなりハードルが高いのです。ネイティブというのは「生まれつき」という意味ですが、生まれついただけでは母語話者にはなりません。その後の学習環境が母語を作っていくからです。アメリカで生まれても、その後、ずっと日本で過ごせば、当然、日本語母語話者になります。
言語理論としては、ネイティブの能力を過大評価するようになったのはチョムスキーという言語学者の影響が強いといえます。簡単にいえば「人間には遺伝的に言語習得する装置が備わっている」という仮説で、その装置に言語データが与えられて言語を習得するという言語習得説です。その結果、言語習得した人を母語話者というのですが、言語研究は母語話者の直観を活用すべきという主張です。各言語の違いは言語データの違いにすぎない、ということなのですが、この母語話者の直観重視を拡大解釈し、母語話者の言語以外は言語でない、という極論まで登場しました。一方では、実際の言語には多くの変異形や変種が存在します。言語の社会的側面や文化的側面を重視する言語学者からは批判もありました。語学は言語学の影響が強く、変動します。
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