日本英語が高度なワケ 2


英語学習

日本で英語の書き言葉が中心になったのは、最近のことではなく、いわば昔からの伝統です。日本の文化人は古代から、先進国であった古代中国からの文献を読んだり、出かけていって学んだりしていました。遭難して偶然に現地にたどり着いた漁師などを除けば、日本からの留学生や遣隋使、遣唐使は事前に漢文を十分学習していました。そして優秀な人だけが派遣されたのですから、筆談なら十分できたはずです。しかも古代中国は王朝が変わるたびに民族や出身地が異なるため、方言が強かったので、会話は元々難しかったのです。その違いは今でも呉音とか漢音という形で残っていますし、漢字の字体が明朝体とか宋朝体とかいろいろあることからもわかります。

つまり古代中国語の文字はほぼ安定していたので、文献を読むことは問題なく、日本では書くこともできる人がいて、さらに日本式の漢語を発明する人もいたわけです。さらには漢字の音を利用して仮名まで発明しました。

日本から渡った留学生には僧がいます。仏教を学びに行ったのですが、その仏教はインドで発祥し、古代インド語であるパーリ語やサンスクリットで書かれた文献を唐の僧である玄奘が翻訳したのが基盤になっています。その漢文の経が日本に伝わり現在も使用されています。その読み方は日本式で現地の音のままではありません。

つまり日本では千年以上に渡って、文献による文明文化の輸入をしており、その解釈が基本です。漢文はそのまま読むのではなく、書き下しという日本語に合うような読み方を工夫し、音読しました。いわば日本漢文です。有名な論語は「子のたまわく、…」と読んで暗誦していました。この文献重視の文化が続いているといえます。

ヨーロッパからやってきた宣教師や商人は日本語を覚え、布教や商売に活用しました。日本側から相手の言語を学習する必要はなく、文献を学ぼうとする人は稀有でした。幕末になって医術を学ぶ必要から、オランダ語を学習するのですが、主として辞書による語彙学習をして翻訳することが基本になりました。発音はカタカナ表記です。この伝統が日本英語に受け継がれていったと考えられます。当時のオランダ語や英語の文献は医療だけでなく、西洋文明に関する文献であり、一般書に比べれば高度な言語です。明治以降も同様に高度な内容の文献の解釈と翻訳が中心になっていました。

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