西洋の通訳と日本の通訳の違い
通訳の歴史は古いです。ヨーロッパは民族戦争の歴史といっても過言でないほど、民族同士の争いがあり、占領したり、占領されたりの繰り返しだったといえます。民族は言語や文化、習慣が違いますから、支配者は被支配者を統治するに当たり、いろいろな規則を押し付けるわけですが、双方に文字文化が確立していれば、文書で公布という方法ができます。しかしそれは近代のことで、ヨーロッパを最初に広範に支配したローマ帝国でも、公用言語であるラテン語の文字が読み書きできるのはごく一部の市民だけであり、属国や奴隷は文字が読めないし、別々の言語を話していました。従って、いろいろな規則や情報を伝えるのは口頭になりますから、どうしても通訳が必要になります。この通訳が正確に内容をそのまま伝えるという保証はなく、自分に都合のよいように「解釈」したり、異なる情報を伝達した可能性は高いわけですが、それでも被支配者は従うしかなかったわけです。
ヨーロッパの民族や国家は小さいものが多く、王国といえど、地方領主の連合体であることが普通で、さらに隣国同士が争っていたわけですから、民衆にとって、支配者がしばしば変わることも珍しくなく、その都度、支配言語が変わったりしますから、民衆は必然的に近隣の多くの言語を獲得しました。また食料や女を略奪することもありましたから、混血なども多く、複数言語を獲得する子供も多くいました。今ではバイリンガルbilingualという表現が普通ですが、昔の英語ではpolyglotという表現もありました。polyは複数、glotは言語という意味で「多言語話者」を指します。Biは二つという意味ですから、「二言語話者」を指します。Polyglotという表現は今は減り、多言語話者をmultilingualといって区別することが多いようです。いずれにせよ、多くの言語が操れるということで、通訳として重宝されてきました。
日本はどうかというと、他民族を支配したり、他民族に支配されたりするようになったのは近代で、昔から隣国とは交流があったものの、ほとんどは文書や文献であり、遣唐使や通信使などを除けば、外国人と直接会話する機会は稀有でしたから、通訳の必要はほぼありませんでした。むしろ翻訳の方が重要だったわけです。遣唐使や通信使も文章交流が基本になっていて、口頭で交渉するということはありなかったのです。
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