日本の翻訳の歴史 2
翻訳に必要なツールは語彙の対照表と文法書です。まず語彙について考えます。
日本の翻訳が盛んになったのは明治時代です。一番有名な翻訳家は福沢諭吉でしょう。彼が翻訳した訳語は今では、訳語と思われず、日本に前からあったかのような誤解をもたれているほどです。福沢訳のポイントは漢語に訳したことです。当時のインテリ層はすべて漢籍が読め、漢語の知識がありましたから、訳語もすぐに使いこなせたわけです。現在でも英語からの翻訳語は多いのですが、漢語訳は激減し、カタカナ語による音訳か、アルファベットそのままのことも多いです。これは借入語としては簡単にできる反面、翻訳語ではないので、意味が通じにくいという欠点があります。明治時代の碩学たちが、漢語訳したのは意味が通じやすいという利点を巧みに利用したので、使用しているうちに馴染みができ、日本語の語彙の中に溶け込んだため、今日でも残っているといえます。今日では外来語を借り入れようとする人々が焦っているのと、手抜きになったこと、そして大衆には「敢えて」知らしめないように、という悪意があって、音訳している可能性もあります。専門家とか官僚にはそうした意図が潜在的にあると思えます。まず辞書を見て、直訳で責任逃れを考えます。
いずれご紹介しますが、漢語訳する場合も、これまでの実績の集積である辞書を用いて直訳する場合と工夫して意訳する場合がありますが、近年は直訳の比率が増えています。直訳といい、音訳といい、大した知能はいらないので、訳語を作る人々はだんだん知性が低くなってきているといえます。彼らがバカにしている大衆のレベルに自ら落ちて行っていることに気が付かないのが問題です。
その問題の原因は翻訳作業に携わる人々の原語理解能力が低くなっていることにあります。明治の頃の翻訳作業は情報も少ない中で、原語と漢語と日本語を比較し、なんとか意味を伝えたいと呻吟していました。とくに文学関係は大変だったでしょう。たとえばシェークスピアの「ハムレット」の名セリフを「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と訳した坪内逍遥は劇的効果も考えて翻訳しています。今日では、意味がかなり飛躍していると批判する人もいますが、その飛躍の中に意訳の意義があるのです。意味というのは聞き手がどう理解するかを意識していなくてはなりません。
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