話し方の文化



海外に行くと、言語の違いを感じるのは当然ですが、同時に話し方というか、声の大きさと身振りの大きさに驚きます。相手は普通に話しているのですが、日本人には怒られているとか、喧嘩しているように感じることがしばしばです。逆に言うと、外国人から見ると、日本人は気が弱くて、主張をしない、何でも受け入れる人ととらえられるようです。実際、観光地で強引な商売をされたり、強い勧誘をされた場合に、ノーといえない人が多いです。それに「まあいいか」と簡単に諦めることも多く、それは相手からすると、納得した、ととらえられます。争いを好まない、という文化はなかなか理解されにくく、正しいと思うことはあくまでも争う、という文化は日本にはないのです。最近はアメリカ文化の影響が浸透し、裁判で争うことは増えてきましたが、それでも、一人でがんばって訴訟する人はまだまだ少なく、集団訴訟のような形とか、支援者がいる訴訟や組織としての訴訟が中心です。まして個人で政府や大組織を相手に戦うという人は稀です。そもそも議論することが苦手な人が多いです。「男は黙って…」という美学がまだ残っており、寡黙であることが評価される文化です。大声で喚くのはご法度で、商売の売り声を除いて、他人に大声を上げることはしません。「いらっしゃいませ」という大声もラーメン屋などの飲食店くらいで、旅館やホテルなどの接客業では小さな声で案内するのが普通です。小声で案内することは海外でも上品な文化としているところも多く、それ故、日本文化は上品として評価する海外の評論家もいるのですが、それでも議論は大声でするものです。日本で大声で議論したり、相手の発言を途中で遮るなどの行為はテレビ討論くらいで、会議などではほとんど見られず、むしろ静かに黙って聞いている人ばかりです。欧米では発言しないのは「関心がない」のと同義であり、賛否を表明するのが普通ですが、日本では採決で手を上げるまで意見を表明しないのが普通で、採決すらせず「満場一致」が当たり前になっています。「反対意見が述べにくい」という感想もよく聞きますが、欧米ではありえない現象です。むしろ、大方の意見に反対の考えができる人が尊敬される傾向にあります。「人と違う」ことが独創であり、オリジナルなのです。大声というのは物理的なことですが、その背景には自己主張という側面が隠れています。

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