災害時要援護者2



災害報道は「絵にならない」ものは放送しません。現地で消防団の方に聞いた話は衝撃的でした。津波の知らせがあり、消防団も出動し、避難する人々の誘導に当たったそうです。避難者の中には障害者や高齢者もいたわけですが、ある車いすの高齢者の避難させるため、若い消防団員が車いすを押して道路を歩いていました。海の近くであったので、台地の上から全体を眺めて指揮していた消防団長はその高齢者と若者の二人が歩くすぐ向こうの海から津波が来るのが見えたそうです。そこで団長は大声で「車いすを捨てて逃げろ」と叫んだのですが、若者はずっと車いすを押し続け、二人とも津波に飲まれていくのを叫びながら見ることしかできなかったことが、ずっと心に残っていて、あの時どうすればよかったのか自問自答しているとのことでした。たしかに難しい問題で、たとえ老人が「私を捨てて逃げなさい」と言ったとしても、そうできる人が何人いるでしょうか。本当は一人でも多くの命を救う、という中に自分も含まれており、まず自分が助からないと他人は助けられない、というのが正解です。航空機の中の緊急ガイドでは、降りてきた酸素マスクはまず自分が付け、次にお子さんにつけるよう指導しています。逆にすると二人とも死ぬ可能性が高くなるからです。緊急時というのはこうした冷酷ともいえる判断が命を救うのです。

災害時要援護者ガイドラインはこうした経験から、ベースを内閣府で作成し、各自治体ごとに決めるようになっています。これは日本独自ではなく、元はアメリカの緊急避難ガイドラインが下敷きになっています。それを日本風にアレンジし、さらに地域による違いがあるので、各地方自治体ごとに設置するしくみです。その思想自体は間違いではないのですが、実際には地方自治体の財政状態に合わせて設定されるため、地方格差が大きいのです。防災準備にはかなりのコストと人員が必要なので、豊かな大都市と過疎化が進んだ地域では格差が大きいので、自治体ごとに定めるという政策は政府は地方まかせにして放置しているのと同じことになります。せめて要援護者の人口に合わせて地方交付予算を決めるなどの国家的支援が必要です。災害が起きてから泥縄のように支援するのは、絵を取りたくて現場に殺到し、支援の邪魔をするマスコミと変わりないことになります。要援護者の意義を再考する機会が災害時です。

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