変化と選択



昨日の小林武彦先生の講演の中で(https://www.youtube.com/watch?v=ujN8LTepZ9g)「進化とは変化と選択」というテーマもありました。この論理にも説得力があります。しかし進化または変化が選択の結果だとして、それが肯定的な価値判断か否定的な価値判断なのかは人により違うのではないでしょうか。生物学では進化とは正の方向への変化を前提としています。負の方向の変化は退化と呼んでいます。環境への適応という点では適者しか生存できないので、進化は正の方向への変化ということがいえます。一方で、退化について「必要がないから」という説明をされることが多いようです。ここでの価値判断基準は環境への適応と必要という別々の基準となっています。生物学の進化論は進化が正の方向という前提しかないように思えます。その背景にはヒトが最も優れた生物で生物進化の究極形であるという思想があります。その基盤にはキリスト教的価値観がありそうです。しかし仏教のように悉有仏性(しつうぶっしょう)という生物にはすべて仏が宿るという思想だと、命に優劣はなく、進化論も「それぞれの生物がそれぞれに進化した」と考えるはずです。輪廻転生という思想では魂がヒトになったり、動物になったり、仏になったり、と変化しつつ永遠に続いていくという教えです。宗教と科学を直接結びつけるのは困難ですが、科学にも思想があり、背景に宗教観があることも確かです。

生物学では変化と選択という現象しか説明していませんが、それを決めるのは何かという答えは出していません。環境適応という条件は出していますが、それを決める意思については曖昧のままです。RNAの変異やウイルスの変異についても意思はなく偶然というような解説がほとんどです。その偶然は「神の意志」なのか、あらゆる組み合わせが起こり、そこから残るのか、説明はなく「生命の不思議」ということになっていると思います。要するに答えは出さない、という暗黙の了解なのでしょう。生物学だけでなく、科学のほとんどはWhatとHowは説明しますが、Whyは哲学の分野として除いています。これはギリシア時代の形而上学metaphysicsと形而下学physicsの分類の時代から変わっていないことを示しています。現在は科学万能主義が敷衍していますが、その偏り故の不都合もそれだけ増えているといえそうです。

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