源氏物語
紫式部の「源氏物語」のことではなく、鎌倉時代を作った源氏の話です。源氏についてはあまり知られていませんが、源氏とは嵯峨天皇以降、臣籍へと降下し「源(みなもと)」の本姓を受けた皇子や皇孫の氏族のことです。
2024年2月6日は旧暦12月27日ですが, 延喜20年(921年)のこの日、 醍醐天皇の皇子・高明親王が臣籍に下り源姓を賜ったのが醍醐源氏の始まりとされています。嵯峨天皇から分かれた嵯峨源氏や清和天皇からの清和源氏、江戸時代に成立した正親町源氏に至るまで数百年間にかけて二十一の系統つまり源氏二十一流があるとされています。文献によっては源氏二十一流に含まれない淳和源氏(淳和天皇の子孫が源姓を与えられたものなど)が存在することを明記しているものもあるそうです。鎌倉以降に成立した源氏もあるのですね。
「源」は皇室と祖(源流)を同じくするという意味であり、二十一流は次のようになっています。(https://ja.wikipedia.org/wiki/二十一流)「嵯峨源治:武家として繁栄した家もあり、明治時代に華族に列した家もあります。仁明源氏 :詳細不詳、-文徳源氏:源能有、源本有、源定有、源行有、源載有の流れ。特に源能有の系統が4代ほど朝廷社会にいたが、子孫は残らなかった。また地方に下向して武家として残ったともある。清和源氏 - 始祖に諸説あり。武家として繁栄、そのうち竹内家(半家・子爵)のみ公家華族。陽成源氏 - 始祖に諸説あり。光孝源氏 - 仏師の家系として明治に至る。宇多源氏 - 庭田家(羽林家)・綾小路家(羽林家)・五辻家(半家)・大原家(羽林家)・慈光寺家(半家)が公家華族として繁栄したほか、武家も多数出ている。醍醐源氏 - 数代ほど朝廷社会で活動した者がいたものの、その後は地下家として残った家と地方に下り武家になった家とわかれている。村上源氏 - 公家華族として繁栄。わずかながら地下家や武家として存続した家もある。冷泉源氏 - 花山天皇の子清仁親王が冷泉天皇の養子となり、その男子延信王が賜姓されて成立したが、その子康資王は王氏に復し、花山天皇の裔としての扱いを受けた。尊卑分脈には冷泉源氏の人物は記載されていない。花山源氏 - 公家の白川伯王家として存続、江戸時代に分家の品川氏が武家として加賀藩に仕える。白川伯王家は明治に華族となったが1961年(昭和36年)に最後の当主が後継を残さぬまま逝去し、男子の後継者を欠き、絶家。三条源氏 - 正親正を世襲した系統がある。後三条源氏 - 輔仁親王(後三条天皇の第3皇子)の第2皇子・有仁王の1代のみ。武家の中には有仁王の子孫を称する家がある。後白河源氏 - 後白河天皇の第2皇子・以仁王(高倉宮、源以光)の1代のみ。順徳源氏:不詳 、後嵯峨源氏 - 源惟康(惟康親王)の1代のみ。後深草源氏 -亀山源氏 -後二条源氏 -後醍醐源氏 - 大橋氏が武家として、氷室氏が社家として存続している。また懐良親王の後裔と名乗る九州の後醍院氏が系を伝える。正親町源氏 - 公家華族。江戸時代に広幡家(清華家・侯爵)のみ創設。」日本の家系というのは複雑であることがわかりますね。
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