破防法と公安調査庁
1952年7月21日、破壊活動防止法が公布され、公安調査庁が設置されました。映画やドラマでは時々、公安調査庁がでてきますが、普段、活動を目にすることはありませんし、警視庁公安部と誤認されることも多く、似たような組織として内閣情報調査室もあって、正しく理解されていることは少ないです。こういう情報機関をインテリジェンスといい、007のジェームス・ボンドの映画のせいもあって、スパイの世界との混同もあります。
破壊活動防止法は「暴力主義的破壊活動を行う恐れのある団体に対する規制措置を定め、また、その活動に関する刑罰規定を補正した法律である。」と規定されています。戦後まもなくこうした法律が制定された背景には1952年5月1日の「血のメーデー事件」と呼ばれるデモ隊と警察が衝突し、死者がでた事件がありました。今テレビニュースでみる外国の暴動事件と同じことが日本でもあったのです。
1952年4月28日日本はサンフランシスコ条約により米軍の占領から解放され独立できたのですが、その直後にこの事件が起きました。原因は警察予備隊という再軍備に反対する全学連や労働者が皇居前広場に集合し、警察の警備に対し投石や竹槍や棍棒などで抵抗し、自動車をひっくり返して放火するなどの暴動になりました。デモ隊は皇居前広場を人民広場と称するなど暴力革命運動の一環とみなされるようになり、そうした左翼団体の行動を規制するために破壊活動防止法が公布され、その具体的な活動をするために公安調査庁が設置されました。この機関は法務省の下部組織で歴代の長官は検察官がなる慣習です。しかし司法権限はなく捜査や逮捕などはできず、もっぱら情報収集のみの活動に制限されています。警視庁公安部は司法警察なので逮捕も捜査もできます。内閣調査室は内閣府の下部組織でアメリカ合衆国中央情報局(CIA)・イギリス秘密情報部(SIS)などの外国政府の情報機関との公式なカウンターパートです。情報機関は国ごとに仕組みが違うので比較はなかなか難しいのですが、米国司法省が日本の法務省に該当するとすれば、公安調査庁は米国連邦捜査局FBIにあたるのですが、米国司法省には麻薬取締局や連邦保安局もあり、日本の麻薬取締局は厚生労働省の下部組織なので、必ずしも一致しません。保安局というのは保安官制度という米国独特の警察制度でmarshalといい、植民地時代に町が雇った警察官の制度を継承していますが、その連邦版です。米国は検事も地方検事制度と連邦検事が異なり、裁判制度も州裁判所と連邦裁判所が異なり、日本のような国家警察、国家検察、国家裁判所とはまったく異なるので、なかなか理解が難しいです。
公安活動はどこの国でも警察と軍と政府が別々に動きます。日本にも自衛隊の情報組織はありますが、外国に比べると弱く、インテリジェンスの中心は警察、法務省、内閣府、厚生労働省、外務省とバラバラで、そもそも海上保安庁が国土交通省所管で軍ではないところがかなり独特です。
公安調査庁が扱った事案でもっとも有名なのがオウム真理教事件です。公安調査庁はオウム真理教に対して解散を目的とした団体活動規制処罰の適用による処分請求を行いましたが公安審査委員会は「将来の危険」という基準を満たさないと判断し適用は見送りました。公安審査委員会は弁護士と裁判官から構成されていますが、裁判所ではありません。公安事案は政治的にデリケートな判断が必要であり、司法制度の外にあるので、なかなか報道されることもなく、闇が深いこともあります。
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