倫理の衰退


倫理

最近のマスコミなどの記事ではパワハラ、セクハラなどに加えて政治家の裏金問題や芸能人のスキャンダルが非常に目立ちます。これらに共通するのが「倫理観の欠如」ということです。現在では倫理といっても、具体的にどういうことなのか、答えられる人は少ないのではないでしょうか。倫理の定義はシンプルなもので「人として守るべき正しい道」ということです。いわば善悪の判断の根拠ということですが、人によりその基準が異なるのも事実です。そして倫理観の高い人もいれば、低い人もいますから、行動に差が出ます。しかし倫理観は個人でバラバラではなく、社会集団で共有されてもいます。一般的には、その共有倫理は宗教集団であったり、地域コミュニティなどですが、職業集団でも共有されています。現在、政治家という「職業集団」が共有する倫理観と、それ以外の国民との倫理観の乖離が社会問題となっています。また近年顕著になってきたのが、新聞・テレビなどのマスコミの倫理観と、SNSなどによるインターネット社会との倫理観の異なりです。

国ごとに倫理観が異なることは自然なことで、背景には宗教観や文化が異なるため、基盤が異なる倫理観の違いは、異文化理解という簡単な概念では解決できないことが多いです。倫理観の根拠となる善悪の判断は宗教的に決まっているのが普通で、日本のように、特定の宗教による善悪判断基準が極めて薄れているのは珍しいケースといえます。それがまた日本文化の特徴であるという外国人による指摘も多くみられます。日本文化については、有名なS.ハンティントンの「文明の衝突」で指摘されているように、他の文化から見ると、是非はともかく独特と感じるようです。彼によれば、日本文明は世界八大文明の1つであり、1つの国から成立しているのも独特であるといいます。文明を分類する根拠の1つが宗教ですが、日本は「日本教」と呼ぶべき、いろいろな宗教の混淆であり、他の宗教は排他的であることが普通であるのに対し、日本教では、神道と仏教の融合だけでなく、儒教やキリスト教などの思想や習俗も日本的に変化させることで、融合していく、と指摘しています。その論理で行くと、今後、もしユダヤ教やイスラム教、ヒンドゥー教などが多く入ってきた場合、さらなる融合の可能性もあるといえます。現在、移民政策が世界の問題となっているので、日本にもその影響が出ることは予想されます。すで地域によっては他民族との衝突が起こっているようですが、それらに対して、日本人と日本文化がどのように対応していくのか、興味深いです。

倫理観というのは宗教や文化が基盤のため、伝統があるのですが、最近は人権とか個人情報とか新しい価値観が社会を席捲するようになり、倫理観も変容を余儀なくされています。「昔は問題にならなかった」ということの正体はそれです。現在は新しい価値観と伝統的な倫理観の衝突段階ですが、やがて融合していくと予想されます。それが「文明の進化」なのです。

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