言語起源論4 言語学と宗教の関係
言語起源論のうち、言語普遍論は統一の祖先という思想であり、これはユダヤ教、キリスト教、イスラム教という唯一神を信仰する宗教の教義と一致します。ただし、インドはバラモン教から仏教、ヒンドゥ教へと変化してきても多神教なので、この思想とは一致しません。しかし唯一神を信仰する人々の間では、祖語があるということが人類共通の祖先となる語があるという思想と結びつきやすく、同時に言語は人間だけのものである、という思想と結びついて、「すべての言語は1つの祖先から分化した」という思想へとつながっていきます。それが言語普遍論です。
言語学者の中にはアフリカの土着の言語や、アメリカの先住民の言語、南太平洋地域の言語などを研究する人もいて、印欧語とはまったく異なる語や文法をもつ言語であることがわかってきます。その結果、言語普遍論に疑問をもち、人類統一の言語という思想に反対する人も出てきます。それが言語相対論です。
言語が長い間に大きく変化することはどちらの説の人も認めています。その変化を進化と考えるなら、生物の進化との関係も問題になってきます。進化論では生物の進化は連続的であり、境目は曖昧です。とくに類人猿と人間は共通の祖先であることが化石の研究などでわかってくると、どこから言語を獲得したのかが問題になってきます。現在の人間を観察すると、すべての人類が言語をもっていることがわかります。一方で人間にもっとも近いとされる類人猿はいろいろな実験結果から、言語をもつことはない、という結論になります。ところが手話を教えると音声言語獲得ができなかった類人猿のほとんどがかなり高度なレベルで手話獲得ができることがわかってきました。しかし、それは人間の言語とは違う、という意見と、手話としては変わりがない、という意見が対立しています。昔は、手話は言語ではない、と考えられていたので問題外だったのが、手話が言語である、と考えられるようになってきてからの新しい課題といえます。
近年になるとDNAの存在が明らかになり、類人猿と人間のDNAの構造がかなり近いことがわかってくると、この議論はさらに激しくなりました。さらに最近は人間のDNAに言語の遺伝を司る部分がある、という主張もでてきます。この問題はさらに、もし類人猿のDNA構造を操作によって言語遺伝子を組み込めば、類人猿が言語習得をできるか、という問題へと変わっていきます。
言語普遍論を主張する人と言語相対論を主張する人には宗教的な信条の影響がないとはいえません。近年の言語学を席捲したチョムスキーは言語普遍論者でユダヤ人です。彼によれば言語の根本は論理構造であり、各言語はそれを変形生成した構造をもち、それに音声や意味を付加していった、という思想です。その根本論理構造は正に「神のロゴス」というわけです。日本のような多神教の国民には言語普遍論はなじまないはずですが、西洋で学んだ言語学者のほとんどは、この説を受け入れています。日本人は昔から何でも受け入れる国民性があるからかもしれません。
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