文化のパラダイムシフト



政治経済や学問のパラダイムシフトだけでなく、社会制度の変更により社会生活も影響を受けることがあります。たとえば明治初期に日本は暦を変えました。新暦というのはキリスト教圏で使用されているグレゴリオ暦ですが、旧暦は長く伝統的に使用されてきた太陽太陰暦です。根本原理がまったく異なる暦法ですから、パラダイムシフトといえます。暦法の変更の動機は公務員の給料の支払いを減らすため、というまったく違った動機ですが、実際には毎月の支払とか、いろいろな行事日程の変更など、社会生活に大きな影響を与えました。当時の社会習慣となっていた行事の多くは仏教の影響を受けたものが多かったため、それらを迷信として排除し、廃仏毀釈という思想を徹底するには都合がよかったのかもしれません。しかし結果として、仏教的行事の日程は新暦に変更されて継続し、今日に至っています。それらの行事の由縁や起源などは同時に伝承されているので、本来の意義よりも日付優先という形式優先になった面は否定できません。もっとも旧暦の場合も実際の日付は毎年変動するので、そもそも日付とは何なのか、という疑問にもなります。このようにパラダイムシフトは変更理由と結果の説明はありますが、その意義についての考察はないか、あっても後世になってから、ということが多いようです。

パラダイムシフトの要因である思想は普遍論と相対論という説明をしてきましたが、これは数学的な表現をすると収斂(しゅうれん)と分散となります。力学的に考えると、力やエネルギーは収斂方向に溜まっていくと、やがて頂点に達して爆発といった変換点から、今後は分散する方向になります。ある程度分散すると今度はある点から収斂の方向に転換します。こうして収斂と分散は交互に出現するので、これを循環型と呼ぶことにします。パラダイムシフトは循環型だけでなく、一方向にのみ変化する場合もあります。上記の暦のように、一旦変わると元には戻らないものもあります。パラダイムシフトについて考察する場合は循環的なのか一方向的なのかについて予め理解しておく必要があります。歴史的に考察する場合も、最近の昭和レトロブームのように、昔を知らない世代にとっては新しいものであり、古い世代にとっては懐かしいものと感じられるように、社会の受け止め方も一様ではありません。パラダイムシフトそのものについても積極的に受け入れる人と、否定的あるいは反対の人もいるのが当然であり、社会が大きく変わる場合でも、すべてが一様に変化するわけではありません。言い換えると、常に反対方向の力が存在し、それが次のパラダイムシフトの種となって、育っていくのが普通です。力やエネルギーでは反対の方向が認識しにくいのですが、存在していると考えるのが正しいといえます。パラダイムというのは天然自然の変化ではなく、あくまでも人間の思想の問題なので、多様的であるのが当然であり、正方向と負方向が同時に存在するのも自然なことです。そう考えるとパラダイムシフトの方向の予想は案外簡単で現在のパラダイムを理解すればよいことになります。

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